ブンガワンソロ
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『ブンガワンソロ』は、1951年制作の日本映画。市川崑が新東宝で撮った最後の作品(この後、東宝に復帰した)。
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机 、洋泉社、P69~72
- ^ 針生進「昭和26年の久慈あさみ」『白鴎大学論集』第32巻第2号、白鴎大学経営学部、2018年3月、43-75頁、ISSN 0913-7661、NAID 120006530660、2021年12月12日閲覧。
- ^ Template:「『ブンガワンソロ』製作秘話」鈴木宣孝
- ^ Template:「東宝・新東宝戦争映画DVDコレクション」No.58(デアゴスティーニ・ジャパン、2016年)添付リーフレット4-5頁
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机 、洋泉社、P70、72
- ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机 、洋泉社、P494
- 1 ブンガワンソロとは
- 2 ブンガワンソロの概要
- 3 あらすじ
- 4 外部リンク
ブンガワン・ソロ
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「ブンガワン・ソロ Bengawan Solo」は、インドネシア・ジャワ島中部を流れる「ソロ川」を意味するが、クロンチョンの代表曲のタイトルでもある(なお河川のソロ川は、全長540キロメートル、流域面積は1万5000平方キロメートル、ジャワ島で最長の川である)。このソロ川は雨季には水があふれるが、乾季にはほとんど枯渇してしまう。クロンチョン「ブンガワン・ソロ」では、その自然の不思議さとともに、そこで生きる人々の故郷への想いがうたわれている。 この曲を作ったのはグサン・マルトハルトノ(Gesang Martohartono、1917年10月1日-2010年5月20日)である。グサンは中部ジャワ・ソロ(スラカルタ)出身で、10代のころからクロンチョン楽団で活動し、自らも多数のクロンチョン曲を作った。ブンガワンソロは23歳のときに作詞・作曲し、国民的愛唱歌となった。 第二次大戦中はグサンも日本軍の慰問団に加わりジャワ島各地を回り、日本兵にも大変愛された。そのため曲自体は日本でも以前からよく知られており、1948年には歌詞を日本語に訳して松田トシが歌うレコードが出ている。これが大ヒットし、南国歌謡ブームを巻き起こした。ただその際に作曲者名にクレジットがなかったので「作者不詳」などと表記されることが多かった。ところが、戦時中にジャワに駐在していた日本人でグサンのことを知る者がおり、のちに日本でもこの作曲者のことが知られるようになった。1990年8月に来日初公演をおこなった。 ブンガワン・ソロを主題歌に1951年、市川崑監督による同名の映画『ブンガワンソロ』も製作され、1949年の黒澤明監督映画『野良犬 (1949年の映画)』では刑事が犯人を捜して闇市を彷徨うシーンの挿入歌として使われた。曲は美空ひばりや小林旭、都はるみなど多くの歌手がカバーしている。 グサン作曲の代表曲をあげると以下のとおり。 「ブンガワン・ソロ Bengawan Solo」-- 乾期のソロ川の岸辺でにわかに曲想を得て作ったという。ソロ川の源から海に至る流れと歴史の流れを重ねた曲。 「ジュンバタン・メラ Jembatan merah」-- 「赤い橋」の意。スラバヤにある橋の名。去って行った人をここで待ち続けるという曲。 「サプ・タンガン Sapu tangan」-- 「ハンカチ」の意。去って行った人の残したハンカチに過ぎし日を偲ぶ。 「ティルトナディ Tirtonadi」-- 現在はソロバラパン駅北のバスターミナルが、かつてティルトナディ庭園があった所。庭園の美しさを歌った曲。
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