ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立
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「シャルル6世 (フランス王)」の記事における「ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立」の解説
精神異常のため、シャルル6世は事実上政務を執ることが不可能となり、豪胆公や息子のジャン1世(無怖公)を中心とするブルゴーニュ派と、王弟オルレアン公と息子シャルル・ド・ヴァロワを中心としシャルル6世を支持するアルマニャック派に宮廷内部が分裂し、主導権を巡って争うことになった。 このようなフランスの状勢を見て、イングランド王ヘンリー5世は、アルマニャック派を支援しながらその裏でブルゴーニュ派と提携するなど、両派の争いに巧みに介入した。そして1415年、ヘンリー5世はシャルル6世に対し、支援の見返りとしてフランス王位の継承権譲渡とフランス領土の割譲、さらに多額の賠償金を要求した。あまりのことにアルマニャック派がこれを拒絶すると、ヘンリー5世はすかさずイングランド軍を率いてフランス北部に侵攻する。ヘンリー5世の勢いは凄まじくフランス軍は各地で連戦連敗、10月25日のアジャンクールの戦いで大敗したアルマニャック派はオルレアン公らが捕虜となる大打撃を受けた。 その間、王太子ルイが1415年に、ルイに代わる王太子ジャンが1417年に、と2人の嗣子が相次いで没するなどの不幸もあった。 このため両派に和解の動きが起こったが、1419年にアルマニャック派を代表する王太子シャルル(後のシャルル7世)が和解交渉の会見においてジャン無怖公を殺害したため、その跡を継いだフィリップ3世(善良公)はイングランドと同盟して王太子シャルルと全面的に対立し、1420年4月にトロワ条約を結んでヘンリー5世のフランス王位継承を支持した。これにより、ヘンリー5世とシャルル6世の娘カトリーヌ(キャサリン)との結婚と、シャルル6世の死後は王太子シャルルではなくヘンリー5世がフランス王位を継承することなどが定められた。ヘンリー5世は現実に王位を継承することなく1422年8月に没したが、シャルル6世も同年10月21日、ヘンリー5世の後を追うように病死した。 シャルル6世の治世は42年の長きにわたったが、精神障害によってその治世のほとんどは家臣団やイングランドに左右される時代となった。
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ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立
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「シャルル7世 (フランス王)」の記事における「ブルゴーニュ派とアルマニャック派の対立」の解説
当時、フランスはブルゴーニュ派と、ガリカニスムを謳うアルマニャック派との内戦状態にあり、両派は王と王族の確保とパリの支配を巡って争いを繰り返していた。1415年にこれを好機と見たイングランド王ヘンリー5世がフランスに侵攻し、アジャンクールの戦いでアルマニャック派を中心とするフランス軍に大勝し、ノルマンディーを征服した。 シャルルには兄がいたが、王太子(ドーファン)であったルイが1415年に、次いで王太子となったジャンも1417年に死去した。そのため新たに王太子となったが、間もなくブルゴーニュ派がパリを制圧すると、フランス南部のブールジュに逃れた。のちの1438年7月、このブールジュの地でシャルル7世はガリカニスムに拠る「ブールジュの国事詔書」を公布した。 1419年に王太子シャルルとブルゴーニュ公ジャン1世(無怖公)はイングランドに対して共闘すべく、和解の交渉を開始した。しかし、交渉の場で王太子の支持者が無怖公を暗殺したため、跡を継いだフィリップ3世(善良公)はイングランドと同盟して王太子シャルルと全面的に対立し、トロワ条約を結んでヘンリー5世のフランス王位継承を支持した。この条約は、王太子シャルルの王位継承権を否認し、シャルル6世の死後は王太子シャルルの姉カトリーヌ(キャサリン)を妃にしたヘンリー5世がフランス王位を継ぐというものであった。 その際に、カトリーヌとシャルル7世の母イザボー(対立派から淫乱王妃と呼ばれた)は、シャルルが王の子ではないことを示唆したとされ、以降シャルルは、正統な王の子ではないのかあるいは狂人の子なのか、悩むことになったといわれる。
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