ブルゴーニュ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 11:27 UTC 版)
「ルクセンブルクの歴史」の記事における「ブルゴーニュ時代」の解説
フィリップ善良公の息子シャルルはブルゴーニュおよびネーデルラントの諸公国の合体をもくろみ、ロレーヌ、リエージュ両公国を併合しようとした。リエージュにおいては保護権を手中に収めたが、ロレーヌでは蜂起が発生し、この鎮圧に向かったシャルルは1477年にナンシーの戦いで戦死した。一人娘マリーが相続人となり、ハプスブルク家のマクシミリアンと結婚して共同でブルゴーニュ公を継承した。さらにマリーが早逝したことにより、ブルゴーニュ公位は2人の息子フィリップ美公が受け継いだが、フィリップは後にアラゴン、カスティーリャ両王国を結婚により継承した。
※この「ブルゴーニュ時代」の解説は、「ルクセンブルクの歴史」の解説の一部です。
「ブルゴーニュ時代」を含む「ルクセンブルクの歴史」の記事については、「ルクセンブルクの歴史」の概要を参照ください。
- ブルゴーニュ時代のページへのリンク