フランスのトップ女優へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 05:27 UTC 版)
「ロミー・シュナイダー」の記事における「フランスのトップ女優へ」の解説
2年近く映画界から離れ、忘れられかけていたロミーに突破口を与えてくれたのは、かつての恋人アラン・ドロンだった。ドロンはジャック・ドレー監督『太陽が知っている』(1968年)の相手役にロミーを指名、。映画は撮影中に発生したマルコヴィッチ事件の話題性もあって、ロミーにとって久しぶりのヒット作となり、ロミーは劇的なカムバックを果たす。 翌1969年、『すぎ去りし日の…』ではじめてクロード・ソーテ監督とコンビを組む。この作品はかつての婚約者との共演やスキャンダルといった呼び物がないにもかかわらずヒットし、続くソーテ監督『はめる/狙われた獲物』(1970年 日本未公開)では男たちを手玉に取る娼婦を演じてこの映画も成功、ロミーはフランスで70年代を体現する女優と目されるようになる。1972年、ジョセフ・ロージー監督の『暗殺者のメロディ』で再度ドロンと共演。 1972年、ヴィスコンティ監督が映画において、初めて史実に近いエリーザベトを描くことに成功した大作『ルートヴィヒ』でかつてそのイメージにつきまとわれ、トラウマともなった皇后エリーザベトを再び演じ、名匠ヴィスコンティが絶賛するほどの美しさと演技を見せた。 またこの年にはクロード・ソーテ監督の『夕なぎ』で、イヴ・モンタンと共演。2人の男の間でどちらを取るとも決められず、また決めるつもりもなく、男達のもとを去る強い女・ロザリーを演じて『ルートヴィヒ』と並ぶ生涯の代表作の1つとする。 しかし、フランスでのロミーの成功に反比例するかのように夫マイエンとの仲は冷却化する。マイエンは仕事がうまくいかない憤りやロミーの成功への嫉妬からアルコールと薬物(バルビツール酸系の催眠薬であり鎮痛剤のオプタリドン)に溺れるようになり、夫婦関係の苦悩からロミーもこの頃からオプタリドンを使用するようになる。1972年、ロミーとマイエンは遂に別居。ロミーは息子を連れてフランスに居を移した。 1973年、ピエール・グラニエ・ドフェール監督『離愁』、フランシス・ジロー監督『地獄の貴婦人』に主演。『地獄の貴婦人』でのロミーは金のために躊躇なく人を殺し、その死体を硫酸で熔解し処分、自慰シーンまであるというドイツ・シシー時代のロミーからは考えられないような役で、しかもドイツ人役であることも加わり、故国ドイツからは「ずっとそっちに行ってろ!戻ってくるな!」といった内容の手紙がわんさと寄せられた。 「私は女優である。シシーだって私とは何の共通する部分もなかった。私はシシーとは別人だったのと同様、この主人公とも別の人間である」
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