フランスのバロック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:19 UTC 版)
「フランス式庭園」も参照 フランスの古典的庭園様式、すなわちフランス式ルネサンス庭園(英語版)は、ルイ14世とヴェルサイユ庭園(英語版)の主任造園師アンドレ・ル・ノートルの時代に最盛期を迎えた。 ル・ノートルの建築理論に基づき、ヴェルサイユ庭園の高木や生垣は幾何学的に設置された。「現実のあらゆる認識は固定された視点の認識にもとづく錯覚である」と唱え、遠景も観測地により変わりうることを理解していた哲学者のルネ・デカルトに倣い、彼は庭園の特定の場所からでなく様々な視点から鑑賞されることを想定して、庭園の比率と規模を観察した際の感覚と現実のサイズを乖離および錯覚させるよう建築した。 園内のオランジェリーと呼ばれるオレンジ用温室にはパルテール(英語版)や長方形の池も増設され、周囲にあった林を開拓した馬車道には噴水像と一体化したボスケ(英語版)が並んでいた。しかし、慢性的な水不足に悩まされていたヴェルサイユで噴水を常時稼働させることは不可能に近かったため、国王が通過している一帯のみを、庭師らは笛で合図しながらその都度手動させる必要があった。 ル・ノートルにより設計されたヴォー=ル=ヴィコント城とヴェルサイユ宮殿はフランス流庭園のステレオタイプともなり、この様式はやがてヨーロッパ中に拡大していった。
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