フランスのタイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:10 UTC 版)
フランスではフランス革命以後、貴族的なものが排除され、ネクタイも意図的にくしゃくしゃに結んだりネクタイをしないことが流行した。しかし、王政復古時代に入りナポレオンが宮廷趣味を取り入れたことでネクタイは復活したが、そこでは宮廷服に合わせたレースのジャボのついた白い大型のものと、日常服のアビ・デガジェに合わせた白い無地のスカーフ状のものの2つに分かれた。 19世紀半ばになると白のネクタイが一番上品で洗練されたものと考えられるようになり、燕尾服にホワイトタイの礼装の原形が完成した。 一方、19世紀の7月王政以降、フランスの男性衣料は着やすさなどの機能性を重視した単純化への傾向を強めた。階級間の服装の平準化が進み、誰も彼もが一様に黒い帽子、黒の上下に白のシャツという「からす男」とも揶揄されるファッションが流行した。 そんなモードの中で、ネクタイは男性衣料のなかで贅沢ができる数少ない場所のひとつとなった。バルザックの『お洒落の生理学』を始め、多くのネクタイ論の本が出版された。当時の人々はネクタイをすることは紳士の最低限の務めと考え、ネクタイを見ればその人の社会的地位、育ち、政治的意見までひと目で分かると考えていた。ダンディズム論の論客ロジェ・ケンプによれば、1830年代にはすでに72種類のタイの結び方が考案されていたという。ユニークで複雑過ぎるネクタイは、それを結ぶことのできる時間的な余裕や忍耐力を表す、上流階級同士の相互確認の暗号として機能していた。 1860年頃になりネクタイの形状は大きく変化し、白いスカーフ状だったタイから細いネクタイが日常的に身に着けられるようになった。
※この「フランスのタイ」の解説は、「ネクタイ」の解説の一部です。
「フランスのタイ」を含む「ネクタイ」の記事については、「ネクタイ」の概要を参照ください。
- フランスのタイのページへのリンク