ファシズムと全体主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:18 UTC 版)
詳細は「全体主義」を参照 全体主義は政治学で使用される用語で、人間の全ての側面を支配する目的を持つイデオロギーやシステムを指す。20世紀より前では、中央の政府がその市民の大多数の情報をリアルタイムに収集可能なほどには通信は高速ではなく、全てに行き渡るプロパガンダの存在を可能にするほどにはマスメディアは開発されておらず、比較的少数の武装した兵士がより多数の非武装の大衆をコントロールできるほど武器は効率的ではなかった。20世紀にこれらの技術的な障壁が崩れ、全体主義的な政府が可能となった。多くの著者は全体主義的な政府は20世紀に登場したと論じるが、しかし「どの」政府やイデオロギーが全体主義的かは合意が存在しない。ナチズムとスターリニズムは、全体主義であると最も多く考えられている2つのイデオロギーである。アドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンは、「左右の全体主義」の指導者の典型例として最も多く挙げられている2名の人物である。彼らは反共主義と共産主義というイデオロギー上は対立しながらも組織構造は類似し、彼らの国で絶対的な権力を握り、彼らの周囲に個人崇拝を築き上げ、極端な形での検閲や警察国家政策、大量虐殺など同様の手段を使用し、時には互いに手を携えることもあった。1920年代初頭、ヨーゼフ・ゲッベルスとオットー・シュトラッサーらナチス左派は、ボルシェヴィズムを国民社会主義のロシアでの一形態とみなし、ヴェルサイユ体制に対抗するためソビエト連邦との同盟を志向していた。しかしヒトラーは1926年2月のバンベルク会議で彼らの提案を却下した。ナチスドイツとソビエト連邦はポーランドなどに対する共同戦線を張り、第二次世界大戦の引き金となった独ソ不可侵条約を締結したが、ナチスドイツは後に蜜月を破ってソ連に侵略し、これに対してソ連は連合国側に加わってナチスドイツを攻め滅ぼすこととなった。(独ソ戦)
※この「ファシズムと全体主義」の解説は、「ファシズム」の解説の一部です。
「ファシズムと全体主義」を含む「ファシズム」の記事については、「ファシズム」の概要を参照ください。
- ファシズムと全体主義のページへのリンク