ファシスト政権時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 08:26 UTC 版)
「コーサ・ノストラ」の記事における「ファシスト政権時代」の解説
政治家や有力者を取り込み、邪魔者は徹底的に排除し、沈黙の掟で守られた彼らも、壊滅状況に追い込まれた時代が到来した。1922年から始まったベニート・ムッソリーニ率いるファシスト政権時代がそれである。 1924年5月、ムッソリーニがシチリアを訪問した際「ここは、すべてが悪党どもの集団で、動くたびにマフィアの悪臭がする」と秘書に述べていたとも伝えられている。さらにシチリア中央部にあるピアーナ・デイ・グレージという町を訪問した。この町の町長でありマフィアのボスでもあったフランチェスコ・"ドン・チッチョ"・クッチャは、ムッソリーニに対し「警察に護衛してもらう必要などない。私がいれば何も問題ない」と護衛を減らすよう求めた。だが、ムッソリーニは、町長の求めを無視した。町長はムッソリーニの態度に激怒し、町の住人に対しムッソリーニの演説を見に行くなと命じた。その結果、ムッソリーニの演説集会には誰も集まらなかった。 ムッソリーニは町長がマフィアであったことを知るや、マフィア撲滅のため、1925年、チェーザレ・モーリをシチリアに派遣した。モーリのマフィア狩りは苛烈を極め、ヴィト・カッショ・フェロを含む多数のマフィア構成員を刑務所に送り込み、マフィアを壊滅状態に陥れた。1929年9月にモーリは、その追及の手をファシスト政権の要人にまで伸ばすようになったため、罷免された。だが、マフィアたちはその後しばらく息を潜めることになった。 第二次世界大戦中の1943年、シチリアに連合軍が上陸すると、連合軍は刑務所にいた彼らを解放してしまった。さらに連合軍はカロジェロ・ヴィッツィーニをヴィッラルバ村の村長に任命し、ヴィト・ジェノヴェーゼをアメリカ海軍司令部付の通訳に任命するなどして、多くのマフィア構成員を町長や村長等の政府関係者に任命した。ファシスト政権崩壊後、マフィアたちは政治的にはキリスト教民主党との関係を深めていった。
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