ピュビス‐ド‐シャバンヌ【Pierre Puvis de Chavannes】
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 00:56 UTC 版)
「シュザンヌ・ヴァラドン」の記事における「ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ」の解説
ヴァラドンはやがてモンマルトルの芸術家と付き合うようになった。1880年代のモンマルトルは、安酒を出す「オ・ラパン・アジル」や「ル・シャ・ノワール」、「ムーラン・ルージュ」などのキャバレーが、ボエーム(ボヘミアン)の芸術家だけでなく娼婦やその情夫、犯罪者、浮浪者、社会の周辺に生きる人々などが集まる場所であった。ヴァラドンは洗濯婦の母マドレーヌの仕事を手伝って、画家たちのところに洗濯物を届けて回っているうちに誘われて、画家のモデルを務めるようになった。1880年頃に登録されていた16歳から20歳のモデルは約670人であったが、肉感的な身体、くっきりとした眉や大きな青い目、そして豊かな表情が魅力のヴァラドンは人気のモデルとなった。エドガー・ドガは、マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドンをその才能、魅力、人格を含めて両義的な意味で「恐るべきマリア」と呼んだ。一方、美術評論家の若桑みどりは、モデルとしてのヴァラドンを次のように評している。 人間は、顔よりもその肉体に精神を秘めているものである。シュザンヌの肉体の、堂々とした調和は、健全で、知的な精神をもった女性を暗示している。彼女が第一級の芸術家の創作意欲を刺激したのは、彼女の肉体の中にエスプリと形式美があったからだろう。 最初に彼女を描いた高名な画家はピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)であった。現在知られている限りでは、1884年のサロン(官展)に出展されて話題を呼んだ大作《美神(ミューズ)と芸術にとって大切な聖なる森(Bois Sacré cher aux Arts et aux Muses)》(460 x 1040 cm、リヨン美術館蔵)、および1891年制作の《夏》(クリーブランド美術館蔵)に描かれる「骨格のしっかりとした、均衡のとれた、古典的な美しさ」をもつ肉体の女性がヴァラドンとされる。 当時20歳のロートレック(1864-1901)は、同じ1884年にシャヴァンヌのこの絵をもとに《聖なる森》のパロディーを描いている。このパロディーも絵もまた、ロートレックがちょうどこの頃出会ったヴァラドンがモデルである。この絵には、裸のミューズたちの横に、同じ画学生であったルイ・アンクタン、作家のエドゥアール・デュジャルダン(フランス語版)とモーリス・バレス、ロートレックが最初に師事した画家レオン・ボナ、後ろを向いて立ち小便をしているロートレック自身が描かれ、警察官数人が彼ら《聖なる森》の「侵入者」に一列に並ぶように指示している。ロートレックのこのパロディーは、「伝統的なアカデミックな絵画に背を向ける」彼の心的傾向を示すものとされ、実際、彼はこの頃からモンマルトルの画家仲間の住居を転々としながら、「ル・シャ・ノワール」の人気歌手で、偽善や虚飾を罵倒する歌詞や娼婦や浮浪者などの貧窮を歌った曲で知られるアリスティード・ブリュアン(フランス語版)や「ムーラン・ルージュ」の踊り子たちを描くようになった。
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