ピュロス、シュラクサイ救援に到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 15:24 UTC 版)
「シュラクサイ包囲戦 (紀元前278年)」の記事における「ピュロス、シュラクサイ救援に到着」の解説
ピュロスはイタリア半島南部で共和政ローマと戦争を行っていたが、この依頼を受諾した。ギリシアにおいてピュロスは、野蛮人からのギリシア人の解放者と評価されており、もしシュラクサイからの救援依頼を断ると、その評判に傷がつく可能性があった。また、シケリアを足場にして、以前にアガトクレスが行ったように、リビュアへ侵攻できる可能性もあった。 ピュロスは紀元前278年初頭にシケリアに到着した。シケリアに上陸すると、まずはタウロメニオン(現在のタオルミーナ)の僭主ティンダリオン(en)と同盟した。タウロメニオンから兵の提供を受けた後、ピュロスは船でカタナ(現在のカターニア)に向かい、そこで兵士を下船させた。ピュロスが陸軍と艦隊をシュラクサイに進めている間に、カルタゴは別の作戦のために30隻をシュラクサイから出航させていた。ピュロスがシュラクサイにさらに接近すると、他の船も陸軍と共に無抵抗で撤退した。トエノンとソストラトゥスがピュロスにシュラクサイを委ねた後、ピュロスは両者を和解させた。
※この「ピュロス、シュラクサイ救援に到着」の解説は、「シュラクサイ包囲戦 (紀元前278年)」の解説の一部です。
「ピュロス、シュラクサイ救援に到着」を含む「シュラクサイ包囲戦 (紀元前278年)」の記事については、「シュラクサイ包囲戦 (紀元前278年)」の概要を参照ください。
- ピュロス、シュラクサイ救援に到着のページへのリンク