ビング・クロスビーのバージョン
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「ホワイト・クリスマス (曲)」の記事における「ビング・クロスビーのバージョン」の解説
この歌を最初に発表したのはビング・クロスビーであり、クロスビーをホストに据えたNBCのラジオ番組『The Kraft Music Hall』の1941年のクリスマスの放送でこの曲を歌ったが、その際の音源は残っていないとされる。1942年5月29日、クロスビーは、ジョン・スコット・トロッターの楽団、ケン・ダービー・シンガーズと一緒に、この曲をデッカ・レコードで録音し、映画『スイング・ホテル』で使用された6曲を集めたSP盤のアルバムに収められて7月30日に発売された。当初、クロスビーはこの歌について、特に何とも思っていなかった。クロスビーはバーリンに「この曲には何も問題はないよね、アーヴィング」と言っただけだったという。 初めのうち「ホワイト・クリスマス」は、同じ映画からの最初のヒット曲「ビー・ケアフル、イッツ・マイ・ハート (Be Careful, It's My Heart)」の陰に隠れていた。しかし、1942年10月末には「ホワイト・クリスマス」が人気ラジオ番組『Your Hit Parade』でチャートの首位に立ち、そのまま翌年まで首位に留まり続けた。 しばしば指摘されることであるが、物憂げな雰囲気(昔よく知っていたような雪景色のクリスマスを夢見ている、という設定など)と、心地よい家郷の雰囲気(梢は輝き、といった描写)が混ざり合ったこの曲は、第二次世界大戦下にあった聴き手たちの心に、特に強く響くものであった。米軍放送には、この歌のリクエストが殺到した)。 1942年中、クロスビーの録音は、ビルボードのポップ・チャートの首位に11週間立ち続けた。さらに当時のビルボードによる黒人音楽系チャート(黒人音楽系のラジオ局における放送回数などによる)「Harlem Hit Parade」(現在の「Hot R&B/Hip-Hop Songs」の前身)においても3週にわたって首位に立ち、クロスビーを黒人系チャートに初めて登場させた曲となった。 その後、デッカはシングル盤を再発売し、1945年と1946年のクリスマス・シーズンにも「ホワイト・クリスマス」はチャートの首位に立った(1946年のシーズンについては1947年1月4日付)。つまり、中断を挟んで3度、全米チャートの首位に立った唯一の曲となったのである。その後もこの曲は、毎年のようにポップ・チャートに浮上し、ビルボードが1963年から独立したクリスマス・チャートを季節に合わせて掲載するようになるまで、その回数は20回におよんだ。なお、ビルボードのクリスマス・チャートでは1969年と1983年のクリスマス・シーズンにクロスビーの「ホワイト・クリスマス」はチャートの首位に立っている。 ミュージカル映画『スイング・ホテル』で用いられていた「ホワイト・クリスマス」は、1942年のアカデミー歌曲賞を受賞した。映画の中でクロスビーは、女優マージョリー・レイノルズとデュエットで歌っているが、歌声はマーサ・ミアーズが吹き替えたものである。今では有名なこの場面は、当初の撮影案にはなく、当初はクロスビーではなくレイノルズがひとりで歌うことになっていた。 今日、よく聴かれるクロスビーの「ホワイト・クリスマス」は、1942年録音のものではない。1947年3月18日、クロスビーはデッカ・レコードのスタジオに呼ばれ、この曲を再録音した。1942年録音のマスターは、既に頻繁に使用され、消耗していた。初録音の音を正確に再現することに意が払われ、再びトロッターの楽団とケン・ダービー・シンガーズがクロスビーの伴奏をした。それでもオーケストレーションには微妙な差異があり、新たにチェレスタとフルートが加えられて導入部がより明るくなっているところは最もわかりやすい。1947年版クロスビーの「ホワイト・クリスマス」は、ビルボードのポップ・チャートでは最高3位を記録した。 クロスビーはこの歌の成功への自分の貢献について否定的な姿勢だったが、その後のキャリアにおいては、この曲とずっと結びつけられることになった。クロスビーが主演した1954年のミュージカル映画『ホワイト・クリスマス』は興行的に大成功を収めた。
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