パナール・ルヴァッソール説の浮上と定着
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「日本への自動車の渡来」の記事における「パナール・ルヴァッソール説の浮上と定着」の解説
画像提供依頼:ビゴーの「東京に初めて出現した自動車」の画像提供をお願いします。(2020年12月) 1975年に近代漫画の研究家の清水勲がジョルジュ・ビゴーの報道漫画集『極東にて』("In the Far East")1898年2月号から「東京に初めて出現した自動車」という埋もれていた風刺画を発見し、自動車が渡来した時期について従来説(1900年ロコモビル説)より早いのではないかということを指摘しつつ、著書『明治の諷刺画家・ビゴー』(1978年刊)で紹介する。 1975年3月10日、NHKで時代考証の業務に当たっていた齊藤俊彦は『東京朝日新聞』1898年(明治31年)1月11日付けの記事に自動車の初輸入についての言及があることを発見し、定年退職を機に1985年夏からかねて懸案だったその車両の調査を開始する。調査の過程で清水の著書にも行き当たって確信を深め、齊藤は調査結果を「ベールを脱いだ幻の第一号車」という記事にまとめ、1987年3月に雑誌『自動車とその世界』(第222号、トヨタ自動車発行)で発表する。しかし、当時の齊藤は無名であり、一方の当時「定説」とされていた1900年ロコモビル説は日本自動車工業会が主張しているものであったため、この発見は(一部の研究者からは支持されたものの)黙殺されることになる。 齊藤の発見を知りつつ無視していたトヨタ博物館で学芸員をしていた鈴木忠道はフランスの自動車博物館などと協力して調査を行い、1996年にフランスの自動車雑誌『LA FRANCE AUTOMOBILE』(1898年4月16日号)にテブネとパナール・ルヴァッソールの写真(上掲)が掲載されていることを発見する。この写真には車両が日本に送られたものであることを示すキャプションも付いていたことから、これが日本初渡来の車両を「パナール・ルヴァッソール」とする決定打となる。さらに追加調査によって、創業期のパナール・ルヴァッソール社の生産記録から、1897年末に日本を仕向け地として納車された車両がある事も判明し、調査結果は補強された。 以降は日本初渡来の車両はテブネのパナール・ルヴァッソールが定説となる。
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