パニエの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 14:03 UTC 版)
16世紀に流行したスペイン発祥のベルチュガダン(仏: vertugadin、英: farthingale ファージンゲール)が起源といわれる。スカートを膨らませるスタイルは17世紀に一時衰退するものの18世紀に復活し、イギリスからフランスの宮廷に伝わった。鳥かご(panir)に形状が似ているため、フランスでは「パニエ」と呼ばれるようになった。 当時はコルセットで上半身を締め付け、パニエでスカートを膨らませることにより上半身の細さを強調するスタイルが流行した。当初パニエは木や藤の、後に鯨鬚の円形の枠を何段かに分け、木綿、毛、絹などの布地に縫い込んで作った円錐形のものであった。 しかし華美を競うに従い膨らみを増すようになり、不自由さを軽減する為に前後へは広がらなくなる一方で左右へと拡大し楕円を連ねた釣鐘形になった。結果として重量が増したためパニエは左右に分割され、日常用としては小型のものが着用されるようになった。2つに分割されたものはパニエ・ドゥブル(仏: panir double、英: side hoops サイド・フープス)と呼ばれた。 パニエはあらゆる社会階層で流行し、フランスの宮廷ではフランス革命まで着用が義務付けられた。被支配階級の身につけるものは実用的な質素な作りのものであった。また、ドイツでは女性の家事使用人にパニエ着用を禁じ、違反者は罰せられた。 身体的な動作の制限が伴うにも拘らず人工的な装飾を伴ったスカートの拡大は当時の性的な奔放さへの批判も相まって風刺や批判の対象となった。18世紀半ばにはドレスの簡素化が進み、ロココ文化から新古典主義への移行に伴い、シュミーズドレスが流行の主流になると、パニエはコルセットと共に一時衰退した。 17世紀半ばのスペイン王女(ディエゴ・ベラスケス作) 18世紀半ばのイギリスのドレス(メトロポリタン美術館アナ・ウィンター・コスチューム・センター収蔵) 18世紀半ばのドイツ貴族(ベルナルド・ベッロット作)
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