パナールルヴァッソール説の浮上と定着とは? わかりやすく解説

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パナール・ルヴァッソール説の浮上と定着

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:52 UTC 版)

日本への自動車の渡来」の記事における「パナール・ルヴァッソール説の浮上と定着」の解説

画像提供依頼ビゴーの「東京初め出現した自動車」の画像提供をお願いします。(2020年12月1975年近代漫画研究家清水勲ジョルジュ・ビゴー報道漫画集『極東にて』("In the Far East")1898年2月号から「東京初め出現した自動車」という埋もれていた風刺画発見し自動車渡来した時期について従来説1900年ロコモビル説)より早いではないかということ指摘しつつ、著書明治諷刺画家・ビゴー』(1978年刊)で紹介する1975年3月10日NHK時代考証業務当たっていた齊藤俊彦は『東京朝日新聞1898年明治31年1月11日付け記事自動車の初輸入についての言及があることを発見し定年退職機に1985年からかね懸案だったその車両調査開始する調査過程清水著書にも行き当たって確信深め齊藤調査結果を「ベール脱いだ幻の第一号車」という記事にまとめ、1987年3月雑誌自動車とその世界』(第222号、トヨタ自動車発行)で発表する。しかし、当時齊藤無名であり、一方当時定説」とされていた1900年ロコモビル説日本自動車工業会主張しているものであったため、この発見は(一部研究者からは支持されたものの)黙殺されることになる。 齊藤発見知りつつ無視していたトヨタ博物館学芸員をしていた鈴木忠道はフランス自動車博物館などと協力して調査行い1996年フランス自動車雑誌LA FRANCE AUTOMOBILE』(1898年4月16日号)にテブネパナール・ルヴァッソール写真上掲)が掲載されていることを発見する。この写真には車両日本送られたものであることを示すキャプション付いていたことから、これが日本初渡来車両を「パナール・ルヴァッソール」とする決定打となる。さらに追加調査によって、創業期パナール・ルヴァッソール社の生産記録から、1897年末に日本仕向け地として納車され車両がある事も判明し調査結果補強された。 以降日本初渡来車両テブネパナール・ルヴァッソール定説となる。

※この「パナール・ルヴァッソール説の浮上と定着」の解説は、「日本への自動車の渡来」の解説の一部です。
「パナール・ルヴァッソール説の浮上と定着」を含む「日本への自動車の渡来」の記事については、「日本への自動車の渡来」の概要を参照ください。

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