パックス‐アメリカーナ【(ラテン)Pax Americana】
読み方:ぱっくすあめりかーな
パックス・アメリカーナ(parabolic)
パクス・アメリカーナ
(パックスアメリカーナ から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 08:50 UTC 版)
パクス・アメリカーナ(
- ^ 板谷敏彦 (2020年11月26日). “格差拡大、排外主義、感染症…前世紀の大戦前夜と現在は怖いぐらい似ている だから「第一次世界大戦史」が重要だ (3ページ目)”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) 2020年12月10日閲覧。
- ^ Jayita Sarkar. “Whither Pax Atomica? - The Euromissiles Crisis and the Peace Movement of the early 1980s”. ウイルソン・センター. 2013年8月6日閲覧。
- 1 パクス・アメリカーナとは
- 2 パクス・アメリカーナの概要
- 3 定義
- 4 冷戦終結後
- 5 パクス・アメリカーナとグローバリズム
パックス・アメリカーナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 07:38 UTC 版)
「近代から現代にかけての世界の一体化」の記事における「パックス・アメリカーナ」の解説
詳細は「パックス・アメリカーナ」および「ブレトン・ウッズ協定」を参照 第二次世界大戦後は、戦間期とは対照的に、戦時経済で急成長したアメリカのリーダーシップにより自由な貿易体制と国際金融取引の再建が進められ、1950年代から1960年代には資本主義史上かつてない繁栄がおとずれた。アメリカがこのような役割をはたした動機としては、1930年代のような世界恐慌の再来を回避することで、軍需にかわる市場を国内産業に確保する期待があったためであるが、それ以上に、戦後のヨーロッパの没落と東西「冷戦」の展開という状況が背景となっていた。これについては、第二次世界大戦から現在までにいたる世界経済の変遷をパックス・アメリカーナの変遷としてとらえる見方がある。 「パックス・アメリカーナ」とは、アメリカが、ソ連を盟主とする東側諸国に対抗する西側の盟主として、北大西洋条約機構や日米安全保障条約を通して西側世界の軍事を引き受け、「核の傘」で資本主義諸国と西側世界を保護するとともに、マーシャル・プラン(ヨーロッパ経済復興援助計画)などによって西欧諸国の、エロア資金などによって日本・琉球・台湾の復興を支え、「ドルの傘」のなかで自由主義経済を編成する体制だったと概括することができる。世界経済システムとしては、ドルの傘(ドル体制)、すなわち、金1オンス(約31.1グラム)=35ドルと定めて各国通貨のドルとの換算も一定にした「金ドル本位制」の側面と、IMF・GATT体制(「ブレトン・ウッズ体制」)という側面の2つにまとめることができる。後者は、「自由・無差別・多角主義」をスローガンとし、各国間の貿易や金融取引における障害を撤廃し、相互に自由平等な立場で競争をおこなうことによって、世界貿易の拡大、開発途上国の開発、国内の完全雇用を実現しようというものだった。そしてまた、これが可能だったのは、人口で世界の6パーセントにすぎない合衆国が、世界の鉱工業生産の6割以上を占め、世界の金の7割近くを保有して経済的覇権を完全に握ったことの反映だった。
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