バンプレスト入社後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 09:10 UTC 版)
キャラクターを扱った仕事をしたいと漠然と思っていた寺田は、バンダイの玩具部門へ面接を受けに行ったが採用されなかった。そこで今度は、今後成長すると見込んだゲーム業界で企画開発を目指して就職活動を行った。文系出身だったためなかなか採用されなかったが、バンダイに面接を受けに行った際に薦められていたバンプレストだけが企画書に目を通し開発部の内定をもらえたため、バンプレストに就職する。 バンプレストでの面接の際、スーパーロボット大戦シリーズの開発をやる気があるかと聞かれ、面倒臭そうと考えた寺田は特撮のゲームが作りたいと答えていた。しかし、上司から質問された機械獣やモビルアーマーの名前を即答できたことから、スーパーロボット大戦シリーズの開発に配属される。当時の寺田は、スーパーロボット大戦シリーズに対して「SDがイヤだ」や「独特の世界観がなじめない」といった否定的な感情を抱いていた(入社4年後のインタビューでは、スーパーロボット大戦シリーズの世界観について「ゲームオリジナルの世界にしかるべき理由があってそれぞれのキャラクターが存在している」「好きですし、納得しています。」と答えている)。 スーパーロボット大戦シリーズは当初『第4次スーパーロボット大戦』で完結する予定だったが、制作中にシリーズ継続が決定しバンプレストの初代社長である杉浦幸昌から「もっと売れるようにしろ」「20年続けろ」との指示が出された。これに対し、スーパーロボット大戦シリーズはユーザー層が限定されていてその幅を広げるのは難しいと考えていた寺田は「スパロボみたいな作品が売れたら、世の中おかしいです」と発言したが、「そういうモノが売れる文化を創れ!」と一喝されている。なぜ20年なのかという問いに杉浦は「20年続ければ文化になる。親子で楽しめるようになる。そういう大きな流をつくるために20年続けなさい」と答え、それを聞いた寺田は「継続は力なり」という言葉を念頭に置くようになった。 入社1年目でゲームボーイ用ソフト『第2次スーパーロボット大戦G』のプロデュースを担当。当時のスーパーロボット大戦シリーズは放送終了したなつかしのロボットが出演するゲームというイメージがあったため、それを払拭すべく新しい作品を取り入れようと奔走する。放送中のテレビアニメ『機動武闘伝Gガンダム』と前番組の『機動戦士Vガンダム』を取り入れるよう提案するが、新しいガンダムになじみのないスタッフたちに一蹴されてしまう。しかし、あきらめずに『機動武闘伝Gガンダム』のビデオを見せてスタッフを説得。スタッフの中に『機動武闘伝Gガンダム』のファンが増えていき、最終的にはスタッフ側からイベント案の提案が出るまでになった。こうして、新旧のロボット作品が共演するというスタイルが確立され、その後シリーズにも継承されていった。 バンプレストの家庭用ゲームソフト企画開発部門は1997年にバンプレ企画と統合してバンプレソフトとなり、2011年にベックと合併してB.B.スタジオとなる。寺田はB.B.スタジオ設立以来同社の取締役であったが、2015年3月をもって取締役は辞任し、ゲーム開発に専念することになる。2021年12月、同年8月末を持ってB.B.スタジオを退職していたことを明かす。フリーランスとしてスパロボシリーズにはスーパーバイザーとして関わりつつ、同シリーズ以外の仕事も行っていくという。
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