継続は力なり
継続は力なり
別表記:継続はちからなり、継続は力也、継続ハ力ナリ
続けることの重要性、弛まず挫けずに続けていくことの大切さを端的に述べた表現。格言。いくつかの意味合いに解釈できる。
・ 個々の成果は微々たるものであっても、地道に成果を積み重ねていけば、やがて大きな事業を達成できる。目標を達成できる。
・ 今は実力不足であっても、挫けずに修練を積んでいけば、いずれ大成できる。
・ 物事を成し遂げるまで諦めずに取り組み続けるということは、それ自体、優れた能力のひとつである。
「継続は力なり」の出典・由来については、諸説あり定かでない。大正時代の教育者・平松折次が「継続は力なり」を標語として掲げていたこと、および、明治時代の宗教家・住岡夜晃が賛歌の詩として綴ったことなどは文献から確認できる。また、国立国会図書館レファレンス協同データベースによれば、イリノイ州のことわざとして「Continuity is the father of success」(継続は成功の父)という言葉が見られるという。しかしながら、いずれもオリジナルであると確証が得られる状況にはない。
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質問 「継続は力なり」の言葉の出典 - 国立国会図書館レファレンス協同データベース
継続は力なり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/17 15:07 UTC 版)
継続は力なり(けいぞくはちからなり)は、日本の宗教家からの[信頼性要検証]ことわざ。
概要
わずかなことであっても、それを継続して行い続けたならば結果として現れるということを意味する。または小さな努力であろうとも、それを継続して行ったならば成功できるということを意味する[1]。
由来
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この言葉の由来は、浄土宗の宗教家である住岡夜晃の作品である『讃嘆の詩』からである。これの上巻には、念願は人格を決定す継続は力なりという一説があり、ここから継続は力なりという言葉が広まっていった。念願とは常に心に強く望むことやその望みであり、原文が意味していたこととは、真の強さというのは正しい念願を貫くことであるということであった[2]。
教育者である平松折次が標語として掲げていた言葉が継続は力なりであったということがこの言葉の由来であるという説もある[3]。
脚注
- ^ デジタル大辞泉. “継続は力なり(ケイゾクハチカラナリ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年4月9日閲覧。
- ^ “「継続は力なり」の正しい意味は? 似た言葉や英語表現も紹介!”. Oggi.jp (2024年1月17日). 2025年4月9日閲覧。
- ^ “「継続は力なり(けいぞくはちからなり)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書”. www.weblio.jp. 2025年4月9日閲覧。
「継続は 力なり」の例文・使い方・用例・文例
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