バンドからの脱退騒動
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「チャーリー・ワッツ」の記事における「バンドからの脱退騒動」の解説
2009年9月2日、現地時間の午前10時にオーストラリアの音楽サイトUndercover.com.au内にて、チャーリーがストーンズを脱退するという記事が掲載され話題を呼んだ。内容は「関係者の話として、チャーリーはもう2度とバンドとツアーやレコーディングをしない。ストーンズは彼の代わりにキース・リチャーズのソロ・プロジェクトでプレイしているセッション・ドラマー、チャーリー・ドレイトンを迎えることを考慮している」というものであった。しかしストーンズのスポークスマン、フラン・カーティスは翌日にチャーリー脱退を否定する声明を発表している。これに対しUndercover.com.auは、Sunday Herald紙の報道を受け「ストーンズには否定の前歴がある。ビル・ワイマンが脱退した時も認めるのに18カ月かかった。当時バンドは活動休止期間で、ただ単に彼の脱退を否定した。しかし活動を再開したときビルはいなかった」「今回もチャーリー脱退を否定するのは間違いない」「時間は我々の味方だ」と強気の姿勢を示した。そもそもこの記事は、時期を同じくして報道された1969年のブライアン・ジョーンズ死亡事件の再捜査の噂に端を発し、新たな模造された噂話に過ぎないとの意見もあった。 一方で、近年チャーリーは「本当はツアーに出る事に対して気が重い。家を離れたくないけど、そうなるとドラムが叩けない。そのジレンマに揺れてるんだ」と常に語っており、『ア・ビガー・バン』のツアー時もキース・リチャーズの説得でようやく参加することに応じた、という経緯がある。それだけに、ネット上でもかなり信憑性のある情報としてツイッターやブログなどで紹介され、「チャーリーのドラム抜きにストーンズがライヴ活動を続けることは、バンドが無くなったも同じ」とバンドの活動再開を危ぶむ声も少なくなかった。2010年2月には、オーストリアのOsterreich紙のインタビューで、「正直言って、明日ストーンズが終わりを迎えたとしても僕は全然構わない」というコメントも残している。 2010年5月にも、Sunday Herald紙がチャーリー脱退を報じている。同紙は関係者の話として「チャーリーはこれ以上ストーンズのツアーに参加する気はなく、代わりにキース・リチャーズのバック・バンドのドラマー、スティーヴ・ジョーダンが後釜として加入するらしい」と掲載した。しかしながらThe Guardian紙によると、翌朝カーティスはこれを否定する声明を発表したという。チャーリーは、「アルバム『メイン・ストリートのならず者』リマスター盤のリリースや映画『Stones In Exile』のDVD発売というバンドの最新プロジェクトをプロモートするため、インタビューを受けている最中」であり、バンド・メイトと共に「アルバムのUKチャート1位獲得を祝っているところだ」という。 一説では、彼はストーンズを完全に脱退したわけではなく、レコーディングには参加するものの、ツアーに出るつもりはないとの話もあった。このことについてチャーリー本人は2010年9月、フランスのLe Parisien紙に「我々はそれについて話し合ってるところだ。何かしらの動きは来年か再来年になるだろう。みんな先の未来の事はあまり見通せない年齢になったから」と語っている。 2012年から2013年にかけ、チャーリーは再びストーンズとしてステージに立ち、イギリスとアメリカで結成50年を祝ってコンサートを行った。2013年の夏には、世界的な人気フェスとして有名であるグラストンベリー・フェスティバルに3日間、44年ぶりとなるロンドンのハイド・パークでそれぞれ公演を行った。チャーリーは当初、これらのライヴに乗り気ではなかったが、終了後は「泥だらけのグラストンベリーで夜プレイするなんて反対だったけど、あれはやるべきだった。7月の週末、UKで3回やったけど、天気も観客も素晴らしくて(グラストンベリー、ロンドン)両方とも楽しかった。つべこべ言うなって事、学ばないとな。僕のいつものパターンだよ」と語った。
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