ハンナ=バーベラ第1期とは? わかりやすく解説

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ハンナ=バーベラ第1期(1940年 - 1958年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 00:27 UTC 版)

トムとジェリー」の記事における「ハンナ=バーベラ第1期(1940年 - 1958年)」の解説

全作品テクニカラー製作。アカデミー賞受賞ノミネート作品多く並ぶ。今日フルアニメーション呼ばれる動きのなめらかな作画特徴。またディズニー作品対抗意識持って作られ一種ディズニー短編へのパロディ作品いくつもうけられる第二次世界大戦が行われた時代には、「勝利は我に」に代表される戦時色国威発揚)の濃い作品見受けられヒトラーらの枢軸国側揶揄する表現登場する1955年公開の「ひげも使いよう」までは、ハンナ=バーベラ2人監督という立場作品製作に携わり、製作はフレッド・クインビー担当していた(しかし、第1作の「上には上がある」から、「楽しいボーリング」まで、クインビーは、ルドルフ・アイジング共同プロデューサー担当しているが、アイジングがクレジットされているのは、第1作上には上がある」のみである。また、ハンナに関しては、第1作から「ひげも使いよう」まで共同プロデューサーとして製作に関わっている)。その次の素敵なママ以降は、製作・監督の両面ハンナ・バーベラメインとして携わっている。 この時期音楽担当した作曲家スコット・ブラッドリーは、映像あらゆる細かい動きタイミング合わせてふさわしい音楽付けていくという、緻密な構成備えたフルオーケストラ曲をそれぞれの作品のために書いている。同じ作品内でも場面によってジャズ風からクラシック風まで曲調めまぐるしく変化する独特の伴奏音楽は、この時期作品群大きな魅力一つである。 この時期オープニング実写映画同様だが下に「CARTOON」のロゴが入るMGMロゴ動画)で始まりタイトルカード、サブタイトルカード、クレジット1、クレジット2となる。著作権標記クレジット1に入る。リニューされたかどうかは不明また、上には上がある」のみ、著作権標記入らないまた、エンドカード統一デザイン基本赤地筆記体で「The End」の立体金文字となっている。実写映画著作権表記エンドカードに入るMGM社章入らない1950年代後半テレビの普及撮影所システム崩壊MGM経営傾き始めた。しかし、トムとジェリー予算削られたものの人気依然高かったMGM当初アニメーションなどの短編映画シネマスコープ化して対抗しようとしたが、やがて旧作の上映のほうが新作上映よりも儲かる事実気付いた。その結論は、MGMアニメーション部門閉鎖だった。1957年スタジオ閉鎖され1958年8月1日公開作品最後となったハンナとバーベラは独立しハンナ・バーベラ・プロダクション設立する1940年から1953年昭和28年12月31日までの作品日本著作権の保護期間終了しているが、1954年昭和29年1月1日以降のハンナ=バーベラ第1期作品並びに後述ジーン・ダイッチ期以降作品はすべて日本著作権の保護期間中である。

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