ハンナ=バーベラ第1期(1940年 - 1958年)
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「トムとジェリー」の記事における「ハンナ=バーベラ第1期(1940年 - 1958年)」の解説
全作品がテクニカラー製作。アカデミー賞受賞、ノミネート作品が多く並ぶ。今日フルアニメーションと呼ばれる動きのなめらかな作画が特徴。またディズニーの作品に対抗意識を持って作られた一種のディズニー短編へのパロディ作品がいくつも見うけられる。第二次世界大戦が行われた時代には、「勝利は我に」に代表される、戦時色(国威発揚)の濃い作品も見受けられ、ヒトラーらの枢軸国側を揶揄する表現も登場する。 1955年公開の「ひげも使いよう」までは、ハンナ=バーベラの2人は監督という立場で作品製作に携わり、製作はフレッド・クインビーが担当していた(しかし、第1作の「上には上がある」から、「楽しいボーリング」まで、クインビーは、ルドルフ・アイジングと共同でプロデューサーを担当しているが、アイジングがクレジットされているのは、第1作「上には上がある」のみである。また、ハンナに関しては、第1作から「ひげも使いよう」まで共同プロデューサーとして製作に関わっている)。その次の「素敵なママ」以降は、製作・監督の両面でハンナ・バーベラがメインとして携わっている。 この時期の音楽を担当した作曲家スコット・ブラッドリーは、映像のあらゆる細かい動きにタイミングを合わせてふさわしい音楽を付けていくという、緻密な構成を備えたフルオーケストラ曲をそれぞれの作品のために書いている。同じ作品内でも場面によってジャズ風からクラシック風まで曲調がめまぐるしく変化する独特の伴奏音楽は、この時期の作品群の大きな魅力の一つである。 この時期のオープニングは実写映画と同様だが下に「CARTOON」のロゴが入るMGMのロゴ(動画)で始まり、タイトルカード、サブタイトルカード、クレジット1、クレジット2となる。著作権標記はクレジット1に入る。リニューされたかどうかは不明。また、「上には上がある」のみ、著作権標記が入らない。また、エンドカードは統一デザイン(基本は赤地に筆記体で「The End」の立体金文字)となっている。実写映画の著作権表記とエンドカードに入るMGMの社章は入らない。 1950年代後半、テレビの普及と撮影所システムの崩壊でMGMの経営は傾き始めた。しかし、トムとジェリーも予算は削られたものの人気は依然高かった。MGMは当初、アニメーションなどの短編映画もシネマスコープ化して対抗しようとしたが、やがて旧作の上映のほうが新作上映よりも儲かる事実に気付いた。その結論は、MGMのアニメーション部門の閉鎖だった。1957年スタジオは閉鎖され、1958年8月1日公開の作品が最後となった。ハンナとバーベラは独立し、ハンナ・バーベラ・プロダクションを設立する。 1940年から1953年(昭和28年)12月31日までの作品は日本で著作権の保護期間が終了しているが、1954年(昭和29年)1月1日以降のハンナ=バーベラ第1期作品、並びに後述のジーン・ダイッチ期以降の作品はすべて日本で著作権の保護期間中である。
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