ハイブリッジの戦い、セイラーズクリークの戦い、ライス駅の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:37 UTC 版)
「アポマトックス駅の戦い」の記事における「ハイブリッジの戦い、セイラーズクリークの戦い、ライス駅の戦い」の解説
4月5日夜、バークビルあるいはバークのジャンクションで、グラント中将はオード少将に、ファームビルから東に約4マイル (6.4 km) のアポマトックス川に架かるサウスサイド鉄道のハイブリッジとその下の荷車用橋、さらにはファームビルにある鉄道と荷車用橋を破壊するよう命じた。その目的はリー軍のダンビルあるいはリンチバーグに向けた動きを阻害し、川の南岸に閉じこめてしまうことだった。4月6日夜明け前、オードは、フランシス・ウォシュバーン大佐の指揮するマサチューセッツ第4志願騎兵連隊からの80名で構成される本部騎兵隊と、参謀のセオドア・リード大佐(名誉准将)の全体指揮下にある小さな歩兵2個連隊を送り、橋が防衛されていなければ、それを燃やすよう命じた。オードは後に、リー軍の少なくとも一部がハイブリッジに近いライス駅に居ることを知ると、リードがその任務を続けると、かなり大きな部隊と遭遇することになると警告しようとしたが、成功しなかった。ロングストリートはハイブリッジを救うために大部隊を派遣しなかった。ハイブリッジで衝突した両軍からどちらも高官が戦死あるいは負傷すると言う激戦が起きた後、南軍が橋を救い、北軍の残った部隊全員を捕獲した。 グラントとシェリダンが、リー軍は西に向かって動いているという見方をしていたにも拘わらず、4月6日朝、ポトマック軍指揮官ジョージ・ミード少将は、一夜明けてもリー軍が北東のアメリア・コートハウスに残っているものと考え、南軍の行く手を遮るためにそこに3個軍団を派遣した。北軍アンドリュー・A・ハンフリーズ少将が指揮する第2軍団のガーショム・モット准将(名誉少将)の師団が、アメリア・コートハウスの西に動いている南軍の後方に就いた。ネルソン・マイルズ准将(名誉少将)の師団が大砲数門を持ち出して、視野から遠ざかっていく南軍に向けて発砲した。ハンフリーズの軍団はその後、セイラーズクリークの戦いの一部となる3つの戦闘の1つで、14マイル (23 km) にわたって、ジョン・B・ゴードン少将の第2軍団と走りながらの戦闘を行った。夜が近づくと、ハンフリーズの軍団が多くの荷車を破壊し、連隊旗13本、大砲3門を捕獲し、1,700名を捕虜に取った。ゴードンの隊列を乱した部隊の残存兵はハイブリッジに向かった。 一方、南軍リチャード・H・アンダーソン中将の軍団は、道路がライス駅とセイラーズクリークの二方向に分かれているJ・ホルトの家屋近くで、北軍ジョージ・クルック少将の騎兵師団による攻撃を撃退した。クルックの師団は、ウェズリー・メリット准将(名誉少将)の指揮下にあったジョージ・アームストロング・カスター准将とトマス・デビン准将の2個師団の援軍を受け、再度攻撃を掛けたが、リチャード・イーウェル中将の軍団の一部から支援を受けていたアンダーソン隊に再度追い返された。北軍騎兵隊の大半は南軍が行軍する線と並行に動いていた。カスター師団が、南軍ロングストリート隊が遅い荷車隊の前に移動して、アンダーソン隊との間に隙間が生じたのを見つけ、道路を塞いで大量の荷車を破壊し、大砲12門を捕獲した。 北軍トマス・デビン准将の騎兵師団に属するピーター・スタッグ大佐の旅団が、ホレイショ・ライト少将の第6軍団と合流して、イーウェルの立ち往生していた師団を攻撃した。北軍はアンダーソンとイーウェルの軍団に追いついた。南軍の両部隊は大砲が無くなっており、セイラーズクリークの近くで、ほとんど背中を合わせる形で陣取った。イーウェルの軍団の大半が降伏し、その時点で3,400名いたとされる軍団の約250名を除いて捕虜となった。アンダーソン隊も6,300名のうち約2,600名を失った。ロバート・E・リーの息子であるジョージ・ワシントン・カスティス・リー少将やイーウェル中将など、8人の将軍も捕虜になった。
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