ハイブリッジでの第2の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 04:14 UTC 版)
「カンバーランド教会の戦い」の記事における「ハイブリッジでの第2の戦闘」の解説
アンドリュー・A・ハンフリーズ少将は4月7日午前5時半に、前日のセイラーズクリーク戦場から西に、その第2軍団に行軍を開始させた。フランシス・C・バーロー准将の指揮する第2軍団第2師団の先遣隊が午前7時頃にハイブリッジに到着したときに、南軍が橋の北岸(および西側)にあった橋頭堡を爆破していたことが分かった。さらに上の鉄道橋と下の荷車用および歩行者用の橋を燃やし始めようとしているところだった。アンダーソン中将が衛兵に出していた誰も渡してはならないという命令が間違って解釈され、ウィリアム・マホーン少将の師団が渡ることができたのは、その命令の真意が明確にされた後のことだった。その後も南軍のトマス・M・R・タルコット大佐が指揮する工兵隊に、橋を破壊する命令が伝わるまでに、さらに時間が流れた。このような事情で、北軍第2軍団の先遣隊が、南軍がまさに橋を破壊しようとしているときに、橋に到着できた。 その後に起きた橋を救うか破壊するかという戦闘が第二次ハイブリッジの戦いと呼ばれるものであり、前日の(第一次)ハイブリッジの戦いに続くものだった。前日は北軍の襲撃部隊が橋を破壊して、アポマトックス川の南岸に居る南軍の渡河を抑えようとしたが、南軍が戦いに勝って橋を救い、北軍に戦死者を出させ、その1部隊を捕まえていた。4月7日朝の第二次の戦いでは、アイザック・R・スターバード大佐の指揮するメイン第19志願歩兵連隊が、鉄道橋の全面的な破壊を阻止できたが、使用は難しくなった。下の荷車用橋は確保でき、第2軍団がそれを渡って、ゴードン、アンダーソン、マホーンの各部隊の追撃を続けた。バーロー師団のウィリアム・A・オルムステッド大佐が指揮する第1旅団と、トマス・アルフレッド・スミス准将の第3旅団に、ネルソン・マイルズ准将の師団が加わり、橋の破壊を完了しようとしたマホーン隊の反撃を駆逐した。北軍第2軍団が橋に到着し始めたときに、マホーン師団は川の北の高台にある2つの堡塁で防衛線を敷いていたが、橋を破壊できず、ハンフリーズの軍団の渡河を阻止できないと分かったときに、北西への移動を始めた。 ゴードンの軍団は鉄道の路床に沿って川を遡り、ファームビルへ向かった。ハンフリーズは、マイルスとレジス・ド・トロブリアンド准将の師団と共にマホーン隊を追いかけ、バーローの師団がゴードン隊を追いかけた。
※この「ハイブリッジでの第2の戦闘」の解説は、「カンバーランド教会の戦い」の解説の一部です。
「ハイブリッジでの第2の戦闘」を含む「カンバーランド教会の戦い」の記事については、「カンバーランド教会の戦い」の概要を参照ください。
- ハイブリッジでの第2の戦闘のページへのリンク