ナホトカ航路の歴史とは? わかりやすく解説

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ナホトカ航路の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 19:21 UTC 版)

ナホトカ航路」の記事における「ナホトカ航路の歴史」の解説

ナホトカ航路の歴史は、シベリア鉄道歴史と密接に関係している。ソビエト連邦時代1936年シベリア鉄道ウラジオストク-ナホトカ支線完成し1940年ナホトカ港の拡張工事始まり太平洋戦争による中断挟んで1946年第一期工事完了した1950年に市の地位得てその後拡張続けた。そして、ナホトカは、ソビエト太平洋艦隊軍港都市として外国人立ち入り禁じたウラジオストク代わりソビエト連邦極東貿易拠点として発展した1956年日ソ共同宣言により日ソ間の国交回復されナホトカ港が日本との貿易港となり、1958年敦賀港との間に貨物定期航路開設された。1961年には、横浜港との間に旅客船定期航路再開され極東海運FESCO)が就航した。この旅客航路一般的にナホトカ航路呼ばれた1967年には日本国総領事館ナホトカ設置されている。 ナホトカ航路は、ソビエト連邦共産圏諸国からの日本との往来日本からヨーロッパへ向かう旅行客重要な交通手段であった同時に貨物もこの航路利用したナホトカ航路シベリア鉄道利用してモスクワへ行く乗客は、シベリア鉄道支線利用して本線合流する列車ハバロフスクまで行き、そこでウラジオストク発のモスクワ行列車に乗り換えスケジュール組まれていた。 ナホトカ航路は、太平洋戦争後、シベリア抑留され日本軍捕虜帰国に際して多く抑留者がこの港から故国日本へ帰国した。また、ナホトカ港の工事にはシベリア抑留され日本兵捕虜従事している。 1980年代横浜港定期旅客航路は、ソビエト連邦極東海運FESCO)が運行するナホトカ航路のみであったが、1992年、それもソビエト連邦の崩壊とともに廃止された。

※この「ナホトカ航路の歴史」の解説は、「ナホトカ航路」の解説の一部です。
「ナホトカ航路の歴史」を含む「ナホトカ航路」の記事については、「ナホトカ航路」の概要を参照ください。

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