ディズニーCEO時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/11 04:56 UTC 版)
「マイケル・アイズナー」の記事における「ディズニーCEO時代」の解説
1984年9月22日にウォルト・ディズニー・カンパニー(以下ディズニー)の会長兼最高経営責任者(CEO)に就任。ディズニー社のトップにユダヤ系が就いたのは創業以来初のことだった。 ディズニーの業績が悪化していた時期に迎え入れられたアイズナーは、映画・アニメ・テーマパークなどすべての事業を立て直したうえで新規事業を展開し、ディズニーの売上高と株価を倍増させた。さらに1996年にはABCを、1998年にはインフォシークを買収し、ディズニーを総合メディア企業へと拡張した。 強烈な個性の持ち主で何にでも口を出さないと気がすまないマイクロ・マネジメント派として、就任以来創業者一族とは激しく対立した。2003年11月にロイ・E・ディズニー(ウォルト・ディズニーの甥)はアイズナーの経営方針に反発しディズニーの副会長職を辞任するなど創業者一族との軋轢が表面化する。この際ロイを始めとする創業者一族はアイズナーを「伝統を無視し、創業者一族の意向に配慮しない」などと激しく批判した。 また、アイズナーと同じく強烈な個性の持ち主のピクサーのスティーブ・ジョブズとの関係も始終芳しくなかった。経営者としてはトップダウン方式で極めて優秀な手腕を発揮したアイズナーだったが、クリエイターとしての素質はなく、安易なシリーズものを連発させ、結果としてディズニーのアニメ映画制作の作品的質を凋落させ、2000年代後半にはピクサー及びドリームワークスに完全に水を開けられることとなった。アイズナー辞任後のディズニーは、完全子会社化したピクサーからジョン・ラセターを制作総指揮に迎えるなどしている。 また、この間アイズナーの独裁的態度と映画製作についての作家性の無理解を嫌う関係者は、アイズナーが東欧ユダヤ系であるにもかかわらず彼が支配するディズニーを「マウシュヴィッツ」と揶揄していた。児童労働などによるディズニーの人権侵害の問題は度々批判され、米国政府はアイズナー宛てに労働条件改善を促す親書を送った際はアイズナーはこれを無視。ハイチの工場を閉鎖して中国への移転を断行した。 2000年代に入るとディズニーは再び業績が悪化し、さらに2004年3月に開かれた年次株主総会では、業績悪化などを理由とする不信任投票が43%で信任された。これを受けて2005年3月に最高経営責任者職辞任を表明、同年9月末に同職を辞した。後任は同じユダヤ系のボブ・アイガー(社長兼最高執行責任者(COO)からの内部昇格)だった。 20年に渡る在任中に得た収入は1,000億円をゆうに越え、CEO退職後も3年間は退職金などで少なくとも19億円の収入は確保された。
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