タクシー業界の規制緩和について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:30 UTC 版)
「青木定雄」の記事における「タクシー業界の規制緩和について」の解説
日本におけるタクシー業界の規制緩和は、青木による運賃値下げ闘争から始まったといわれている。青木は運輸省によるタクシーの『同一地域内、同一運賃』の行政指導へ異を唱え、1981年、京都市内における一律のタクシー料金値上げにも単独反対する。この時は最終的に一律の運賃値上げに同調するが、翌1982年に運賃の値下げを申請。却下されたことを受けて青木は運輸省近畿運輸局に対し運賃値下げ訴訟を起こし、1985年1月大阪地裁で勝訴、1989年に国と和解した。1993年タクシー運賃は自由化され、MKタクシーに対し運輸省によって全国初のタクシー運賃値下げ(10パーセント)が認可された。 運賃値下げ訴訟の和解以後、2002年の改正道路運送法までの間、運輸省は、市場の「適正車両数を越えた最大20パーセントまでの新規参入と増車の許可」・運輸局の定める「標準運賃より最大10パーセントまでの値下げ許可」などの規制緩和措置を試験的に講じた。2002(平成14)年2月1日、改正道路運送法が施行されタクシー事業は規制緩和された。これにより、タクシー会社の新規参入は免許制から許可制となり、区域ごとのタクシーの台数制限は撤廃された。タクシー運賃はこれまでどおり認可制だが、国土交通省は不当なもの以外は認めることにした(2002年2月1日産経新聞東京朝刊など)。 しかしながら、タクシー業界における規制緩和は、接客トラブルの増加、交通違反、都市部のタクシー台数増加による過度の交通渋滞、低賃金と過酷な長時間労働のもたらす過労による交通事故の顕著な増加などの弊害を指摘されている。エムケイ(経営企画部)は、2004年11月、「規制緩和は数年すると業者の淘汰が進むことが多いが、タクシーは賃金体系の特質から、運転手にしわ寄せがくる構造だ」と指摘した(2004年11月17日産経新聞東京朝刊社会面)。 現在、タクシー業界の規制緩和はニューヨークをはじめとする世界の主要都市で否定されている。タクシー会社の利益拡大と市場経済メカニズムとは融合し得ないため、タクシーの車輌台数や運賃などには、法及び公的機関などの一定の規律の取れた管理を必要とすることによる。日本においても、2009年成立のタクシー適正化・活性化特別措置法(タクシー特措法)により再び規制する方向になっている。
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