ソ連・中国の朝鮮半島政策とは? わかりやすく解説

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ソ連・中国の朝鮮半島政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 14:19 UTC 版)

南北等距離外交」の記事における「ソ連・中国の朝鮮半島政策」の解説

ロシアと朝鮮の関係」も参照 ソビエト連邦及び中華人民共和国長らく韓国との国交無く北朝鮮とのみ外交関係有していた。 1988年2月韓国盧泰愚大統領就任すると、経済分野スポーツ分野において中華人民共和国ソビエト連邦・モンゴル・ベトナムなどの社会主義国韓国との交流活発化し、多く社会主義国1988年ソウルオリンピック参加した韓国政府はこれらの社会主義国対す政策を「北方政策」「北方外交」と位置付けて推進した1985年3月ソ連ミハイル・ゴルバチョフ指導者となり、ペレストロイカが進むにつれてソ連改革不快感示した北朝鮮ではなく韓国との関係重視するようになった国際連合加盟目指す韓国にとってもソ連との国交樹立は重要であり、1990年9月30日ソ連韓国国交樹立された。 ソ連との国交樹立続き1992年8月24日には中華人民共和国韓国国交樹立された。またこれに先立ってそれまで韓国外交関係有していた中華民国8月22日をもって韓国断交した。 1991年12月ソ連崩壊してロシア連邦成立すると、ロシア当初「軽朝重韓(北朝鮮軽視韓国重視)」の朝鮮半島政策をとった。1992年11月ボリス・エリツィン韓国訪問して露韓関係基本条約」、1994年には「建設的相互補完パートナー関係」を締結した。これ以降ロシア北朝鮮核問題に関して韓国立場支持する事を表明し両国間の貿易経済交流活発化した。 北朝鮮ソ連中国の対韓政策に不快感示しソ連に対して1961年7月締結したソ朝友好協力相互援助条約に基づく軍事同盟強化などを求めていたが、ソ連韓国国交樹立後は急速に両国関係悪化したソ連崩壊後ロシア北朝鮮対す経済支援打ち切り貿易優遇政策バーター貿易認め政策)の放棄決定し貿易において現金決済求めるようになり、1993年には「ソ朝友好協力相互援助条約」の「北朝鮮安全保障における無条件保障義務」を破棄し事実上北朝鮮との軍事同盟解消した。 しかし北朝鮮との関係悪化ロシア朝鮮半島対す影響力低下招いた為、1990年代中頃から「南北等距離外交政策へと転換した1995年9月にはロシア側の申し出によって「露朝友好協力条約」が締結され北朝鮮対す機械工業石油など8つ分野における大規模な支援進められた。1996年4月には両国間で経済交流政治的対話復活させる事が決定され、そして1999年3月には「露朝友好善隣協力条約」に仮調印した。 これと同時にロシア韓国との関係強化にも力を注ぎロシア韓国1995年5月に「軍事秘密保護協定」、1996年11月には「軍事協力覚書」に調印した2000年5月ウラジーミル・プーチン大統領就任した後は、ロシア韓国の関係はより一層緊密になり、2004年9月盧武鉉大統領ロシア訪問伴ってロシア韓国の「全面的協力パートナー関係」が宣言されロシア石油共同開発パイプライン建設などが決定された。

※この「ソ連・中国の朝鮮半島政策」の解説は、「南北等距離外交」の解説の一部です。
「ソ連・中国の朝鮮半島政策」を含む「南北等距離外交」の記事については、「南北等距離外交」の概要を参照ください。

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