ソ連亡命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/25 07:33 UTC 版)
「ヘルベルト・ヴェーナー」の記事における「ソ連亡命」の解説
ヴェーナーは地下活動に従事し、1935年に中央委員会の一員としてソビエト連邦の首都モスクワに亡命した。クルト・フランクの偽名でモスクワでドイツ語紙「ドイツ中央新聞」の論説員となる。折しもヨシフ・スターリンによる大粛清でドイツ人亡命者も数多く犠牲になったが、ヴェーナーは生き残ることができた。後年公開された資料によれば、当時ヴェーナーはソ連当局にドイツ人亡命者の政治的「欠点」などを報告していた。例えば「デア・シュピーゲル」誌が入手した資料によれば、ユダヤ人作家で共産党員のヘルムート・ヴァイスは、ヴェーナーの告発により内務人民委員部(NKVD)の捜査を受け、重労働刑10年を受けている。1937年にはチェコのヴォレンベルク=ラズロ・グループと連絡を取ったとして17人を密告し、それは逮捕・投獄・処刑に繋がった。 第二次世界大戦中の1941年に党の指令で中立国スウェーデンに赴き、ドイツ国内への共産主義者の潜入と反ナチ抵抗運動を組織した。翌年ストックホルムでスパイ活動の罪で逮捕され、懲役1年の刑を受けた。もっともこれは、党に指令されたドイツ国内での抵抗運動組織化活動から逃れるためだったとも言われている。これによりヴェーナーはヴィルヘルム・ピークを主席とする政治局から除名され、獄中で共産党から脱退した。
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