ケンブリッジの5人組
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「ケンブリッジ・ファイヴ」の記事における「ケンブリッジの5人組」の解説
キム・フィルビー(1912 - 1988) イギリス秘密情報部ワシントン代表、次期長官候補。暴露後ソ連亡命。ウェストミンスター・スクールからトリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)で学ぶ。没後ソ連で国葬が行われた。 サー・アンソニー・ブラント(1907 – 1983) イギリス王室美術顧問、王室とドイツとのつながりを仲介していたとされ王室の弱みを握る。発覚して自白後も公表されず、王室顧問にとどまる。暴露後サーを剥奪される。エリザベス皇太后のいとこで、トリニティ・カレッジ卒。 ガイ・バージェス(1911 – 1963) BBC勤務、外務省勤務を経て、暴露後1951年にソ連へ亡命。イートン・カレッジ、海軍兵学校 (イギリス)からトリニティ・カレッジ進学し、映画『アナザー・カントリー』はバージェスの青年時代をモデルにしている。アルコール中毒によりモスクワで没。 ドナルド・マクリーン(1913 - 1983) 外務省入省後、駐米イギリス大使館の一等書記官としての勤務を経て、暴露後1951年にソ連亡命。ソ連外務省勤務。自由党下院議員の子で、トリニティホール(ケンブリッジ大の別のカレッジ)で学んだ。 ジョン・ケアンクロス(1913 – 1995) 外務省、大蔵省を含む政府機関勤務を経て、暴露後はアメリカでの大学勤務、国連勤務。グラスゴー大学、パリ大学、トリニティ・カレッジで学ぶ。第二次大戦中は暗号解析本部ブレッチリー・パークで分析官を務めた。
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