ソ連下での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 10:23 UTC 版)
「ヨーナス・トゥリンクーナス」の記事における「ソ連下での活動」の解説
1939年、クライペダで生まれる。カウナスの学校で学び、1957年にヴィリニュス大学に入学、1965年にリトアニア語・文学部で心理学の学位をとる。在学中に「インドの友協会」 (リトアニア語: Indijos bičulių draugija)を設立している。インドのヴェーダと出会ったトゥリンクーナスは、リトアニア文化の起源とその精神的根源を探求するようになった。 1967年、トゥリンクーナスは友人たちと共に、ケルナヴェでラーソース(夏至祭)を祝い始めた。ソヴィエト政府からは不認可とされ、KGBの圧力を受けつつも、リトアニア人の間では民話や伝統的なアンサンブルを再建し、ラーソースに焚火をたき、ヴェーリニェース(Vėlinės、諸聖人の日)にキャンドルを灯す活動が続けられた。これは、リトアニア人が文化的な独立を維持するのに大いに役立った。トゥリンクーナスは、ヴィリニュス大学でラムヴァ民族誌学会の創設に携わった。彼は民話を研究し、農村をめぐって生き残っている文化、民謡、伝統を採集していった。彼の学生や支持者たちは自らを「ラムヴァの者たち」や「旅人たち」と呼ぶようになった。 ヴィリニュス大学を卒業後、トゥリンクーナスは1969年から同大の心理学講師となった。しかし1973年、その民俗研究が反体制的であるとして大学を追われてしまう。その後15年にわたり、彼は専門分野の研究活動への参加を禁じられた。そこでトゥリンクーナスは、代わりにリトアニアに生き残った古い伝統の研究に生涯をかけることにした。村々を回って民謡や民話、慣習や信仰を採集していくうちに、彼はラムヴァ民俗学者から真のロムヴァ信者になっていった。
※この「ソ連下での活動」の解説は、「ヨーナス・トゥリンクーナス」の解説の一部です。
「ソ連下での活動」を含む「ヨーナス・トゥリンクーナス」の記事については、「ヨーナス・トゥリンクーナス」の概要を参照ください。
- ソ連下での活動のページへのリンク