ジョンソンの攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 03:38 UTC 版)
「ホワイトオーク道路の戦い」の記事における「ジョンソンの攻撃」の解説
ジョンソン配下の各旅団が、北軍前衛陣地に対する攻撃を始められる前に、エアーズの要請でウォーレンがサミュエル・W・クロウフォード准将(名誉少将)の師団から1個旅団をホワイトオーク道路の方向に動かし、エアーズの陣地を補強し、南軍の哨戒部隊を追い散らそうとしていた。午前8時15分、ウォーレンはエアーズに、シェリダンとの交信でメリットの部隊がホワイトオーク道路から動いており、エアーズは西または北から攻撃する機会を探るべきだと言っていることを知らせた。道路とグレイブリーランの状態の故に、クロウフォード准将の隊は午前10時まで隊形を作れないままだった。 一方、ジョンソンはエアーズとクロウフォードの旅団が南軍前線に向かって進んでくるのを見て、ハントンとスタンセルの旅団に北軍に合わせて前進することを認めた。ただし最右翼にいるマクゴワンの旅団はまだ準備が整っていなかった。南軍はホワイトオーク道路の北にある林に遮蔽されて北軍に近づくことができた。エアーズの師団はウィンスロップの旅団に先導され、南軍の前衛射撃壕を占領する意図で、ホワイトオーク道路に向かって原っぱを横切っていたときに、南軍が林の中から発砲を始め、しかもその姿が北軍からは見えなかった。 南軍ワイズの旅団が工作物から出てきたが、命令を待っていたので戦闘に加わらなかった。リーが遂にワイズにハントン隊の左翼に位置取るよう命じた。このときクロウフォードの他の2個旅団からの連隊が前進してくる南軍に対して頑強な抵抗を行っていた。戦闘が激しくなったとき、ワイズの旅団は第5軍団と戦うことはなかった。 南軍のマクゴワンの旅団を含め3個旅団の全てがジョンソンからの命令を受ける前であっても、エアーズの師団とクロウフォードの師団全てを攻撃していた。クロウフォードの師団はエアーズ隊と自隊の前衛旅団を支援するために素早く戦闘に加わった。南軍がこれら2個師団の旅団全てを破り追い返した。 南軍の3個旅団は、勢力では劣り、時として北軍の旅団の抵抗にあったもののエアーズの師団の3個旅団とクロウフォードの師団の1個旅団、合計4個旅団をグレイブリーランを越えて後退させた。続いてスタンセルの旅団が北軍ヘンリー・バクスターの旅団とジェイムズ・グウィン大佐の旅団の形を整えた部分を、グレイブリーランの手前まで追い返した。バクスター旅団の前衛連隊は、旅団の他の部隊が後退するのを見て、自隊も後退した。ウォーレンはエアリーの師団の退却を止めるには遅すぎたので、クロウフォードの師団を鼓舞しようとして、自ら前線に出て連隊旗を掴み後退する北軍兵を鼓舞しようしたが、うまく行かなかった。ウォーレンの英雄的行動もむなしく、自身もクリークを越えて退却し、グリフィンの師団の背後で兵士の間の恐慌状態を止めさせ、散開した部隊を再編させた。グレイブリーランを越えての最後の組織だった抵抗は、クロウフォードの師団のジョン・A・ケロッグ大佐の旅団によるものだったが、戦いながらの後退であり、追い返された。南軍の4個旅団のうち3個旅団が北軍第5軍団と実際に戦い、北軍2個師団、5,000名以上を追い返すことになった。 グリフィンの師団とチャールズ・S・ウェインライト大佐(名誉准将)の第5軍団砲兵隊が、泥道を押して4門の大砲を前に出し、南軍がグレイブリーランを渡る直前でその前進を止めさせた。このグリフィンとウォームライトからの砲撃に遭った南軍はグレイブリーランから約400ヤード (360 m) 後退した。ただし、歴史家のエド・ベアスは、南軍がグレイブリーランを渡ろうとしていたのではなく、威力偵察するつもりだけだったと記している。
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