ジョンソンの「偉大な社会」政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:30 UTC 版)
「アメリカ合衆国民主党の歴史」の記事における「ジョンソンの「偉大な社会」政策」の解説
1963年11月22日、テキサス州ダラスで、ケネディ大統領は暗殺された。これを受けて、副大統領リンドン・B・ジョンソンが直ちに宣誓を行い、大統領に就任した。ジョンソンは1964年の大統領選挙でも大勝した。 ジョンソンはニューディール政策の理想を継承し、議会の保守連合を切り崩し、「偉大な社会(英語版)」政策と呼ばれる膨大な数のリベラルな法案を成立させた。中でも公民権関連の主要法案の成立に尽力し、ついに1964年には、ジョンソンの署名によって1964年公民権法が成立し、南部での人種統合が再開された。一方、外交面ではジョンソンはベトナム戦争への介入を深めていった。 公民権法成立の輝かしい成果の裏で、民主党内では、この公民権問題に対する方針の劇的な転換や、ベトナム戦争の泥沼化が原因となって亀裂が拡大した。党幹部内に公民権運動の支持者が増えるにつれ、ニューディール連合に亀裂が入り始め、民主党の伝統的な支持基盤であった南部の保守層と北部都市のカトリックは民主党から離れていった。カトリック教徒のケネディの大統領選出は、ニューディール連合内でのカトリック勢力の一つの到達点であったが、1964年以降、中産階級のカトリックは共和党にも投票し始め、カトリックが民主党・共和党に投票する割合はプロテスタントと変わらなくなった。リチャード・J・デイリー(英語版)市長率いるシカゴのクック郡民主党を除き、残存していた民主党のマシーンも衰退していった。
※この「ジョンソンの「偉大な社会」政策」の解説は、「アメリカ合衆国民主党の歴史」の解説の一部です。
「ジョンソンの「偉大な社会」政策」を含む「アメリカ合衆国民主党の歴史」の記事については、「アメリカ合衆国民主党の歴史」の概要を参照ください。
- ジョンソンの「偉大な社会」政策のページへのリンク