シュヴァーベン公フィリップとの闘争とは? わかりやすく解説

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シュヴァーベン公フィリップとの闘争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:47 UTC 版)

オットー4世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「シュヴァーベン公フィリップとの闘争」の解説

1197年ハインリヒ6世没した後、ハインリヒ6世の弟シュヴァーベン公フィリップ大多数諸侯から金銭引き換えローマ王ドイツ君主即位支持取り付けた。シュタウフェン家に敵対する諸侯ヴェルフ家人間ローマ王擁立しようと試みたが、ハインリヒ獅子公の子の中で最年長ハインリヒ十字軍参加してローマ帝国不在であったため、弟のオットーフィリップ対立王選ばれた。反シュタウフェン家の立場をとるケルン大司教アドルフは、ライン地方諸侯働きかけオットー擁立し1198年6月9日ヴェルフ家支持者によってローマ王擁立された。同年7月12日オットーアーヘンケルン大司教アドルフより戴冠される。聖職者のうちケルン大司教のみがローマ王冠を戴冠できる権限を有しており、戴冠式オットー即位正当性証明する象徴として重要な意味を持っていた。しかし、帝権を示す標章はシュタウフェン家が所有していたため、戴冠式では模造品標章代用された。 オットー養育者であるイングランド王リチャード1世支援を受け、シュヴァーベン公フィリップフランス王フィリップ2世同盟していたため、オットー即位イングランドとフランス衝突引き起こした一方教皇庁一人君主の下でローマ帝国南イタリアシチリア王国統合されている状況続いていることを憂いローマ帝国シチリア分離中部イタリアにおける教皇権回復図っていた。教皇インノケンティウス3世帝国の混乱乗じアンコーナスポレートペルージャなどのイタリアの都市からハインリヒ6世によって配置され帝国封臣追放することに成功した帝国の廷臣追放並行してインノケンティウス3世トスカーナ形成され反帝国の都市同盟League of San Genesio)を支持し同盟教皇保護下に置かれた。インノケンティウス3世は、貧しく支持者少なオットー教会傀儡適した人物考え、彼を国王候補選んだインノケンティウス3世教皇が持つ皇帝候補適格性の審査主張して国王選挙介入し1201年3月インノケンティウス3世オットー唯一の正当なローマ王として認めローマ王選挙における教皇介入先例作った教皇からの支援の見返りとして、同年6月8日オットー中部イタリアにおける教会権利保障シチリア王国対す教皇の封主権承認イタリア政策における教皇意向尊重約束したボヘミア王オタカル1世当初シュヴァーベン公フィリップ支持していたが、オットーボヘミアからの支持取り付けることができた。また、デンマーク王ヴァルデマー2世からの支持も、オットー正当性をより強固なものにしていた。 しかし、シュヴァーベン公フィリップオットー支持者との戦闘勝利を重ね1204年にはケルン大司教からローマ王冠を戴冠された。同年イングランドフランスとの戦闘敗れたため、イングランドからの資金援助絶たれオットー苦境に陥り、兄のハインリヒ含めた多く諸侯フィリップ味方した1206年7月27日オットーはヴァッセンベルク(ドイツ語版近郊戦いでフィリップの軍に敗れて負傷し教皇庁内戦優位に立つフィリップ支持回ったフィリップ事実上ローマ王となり、オットーブラウンシュヴァイク近郊居城退去余儀なくされた。 インノケンティウス3世仲介オットーフィリップケルン交渉行いフィリップオットーローマ王請求権放棄引き換えに、フィリップの娘ベアトリクスとの結婚シュヴァーベン公位、莫大な補償金支払い提示したオットーフィリップ提案拒否し、再び内戦勃発しようとしていたが、1208年6月8日フィリップ個人的な怨恨原因暗殺される

※この「シュヴァーベン公フィリップとの闘争」の解説は、「オットー4世 (神聖ローマ皇帝)」の解説の一部です。
「シュヴァーベン公フィリップとの闘争」を含む「オットー4世 (神聖ローマ皇帝)」の記事については、「オットー4世 (神聖ローマ皇帝)」の概要を参照ください。

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