シェール・シャーとの戦い・敗北
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 04:48 UTC 版)
「フマーユーン」の記事における「シェール・シャーとの戦い・敗北」の解説
また、服属していた東方アフガン勢力のシェール・ハーンが次第に勢力を拡大し、ムガル朝に敵対するアフガン人らの盟主となってしまったため、1537年にフマーユーンは彼を攻めるために東方に進軍した。シェール・ハーンはバハードゥル・シャーの多額の資金援助のもと、1200頭の象を含む大軍を擁し、ジャウンプルとヴァーラーナシーからベンガルにかけて強力な同盟勢力を築き上げた。 フマーユーンは同年の暮れ、後方との連絡を脅かすとしてチュナールを包囲したが、その城を占領するのに6ヶ月も要した。その間、シェール・ハーンはロータースガル城を奪い、そこに自身の家族を避難させたのち、ベンガル・スルターン朝への侵略を行い、その首都ガウルを占領した。シェール・ハーンはフマーユーンに完全に軍略で勝っていた、と歴史家のサティーシュ・チャンドラは評している。 シェール・ハーンはガウルを占領したのち、フマーユーンに対してベンガル領有を認めるなら毎年100ディーナールを支払うと申し出た。だが、フマーユーンは豊かなベンガルをシェール・ハーンの手に残しておくつもりはなく、またフマーユーンの陣営に負傷して逃げてきたベンガル王がシェール・ハーンへの抵抗を続けられると力説したため、彼にこの提案を拒否させた。 しかし、ベンガル王は負っていた怪我が原因で死亡したため、フマーユーンは単独でベンガル遠征に向かった。シェール・ハーンはすでにベンガルを離れ、南ビハールにいたが、これはフマーユーンにベンガルに進出させ、アーグラとの連絡を絶つ彼の作戦であった。そのため、フマーユーンはガウルに難なく到着し、現地で法と秩序を確立しようとした。 だが、その間に実弟のヒンダールがデリーで皇帝を自称し始めた。この企みはフマーユーンを支持する貴族の反対で失敗した。だが、この行動はカームラーンの覇権を狙う野望にも火をつける結果となった。 一方、フマーユーンはシェール・ハーンの作戦により、アーグラとの連絡を絶たれてしまったため、3、4ヶ月ガウルに滞在したのち、わずかな守備隊を残してアーグラへと帰還した。フマーユーンは雨季やアフガン人の執拗かつ絶え間なく続く攻撃に加え、貴族間の不仲にもかかわらず、ブクサール近くのチャウサーにまで軍を退却させることが出来た。このころ、カームラーンがヒンダールの反乱鎮圧を目的にラホールから進出してきたが、フマーユーンには援軍を送ることはしなかった。 1539年6月26日、フマーユーンはシェール・ハーンの軍勢にチャウサーで敗北を喫した。フマーユーンはシェール・ハーンに勝てると確信していたが、アフガン軍は戦闘経験をつみ、強力な指導者に率いられていたため士気が高かったが、フマーユーンはチャウサーの町でアフガン軍と対峙しながら和議を結ぼうとした。シェール・ハーンはその間に軍の戦闘態勢を整え、帝国軍を急襲させ、総崩れにさせた。この戦いで帝国軍の著名な貴族、および兵士7千人あるいは8千人が死亡し、フマーユーンはアーグラへと逃げ延びた。 同年12月、シェール・ハーンはガウルで即位して、シェール・シャーと名乗った。そして、ここにアフガン系スール族によるスール朝が創始された。一方、フマーユーンはアーグラに戻ったのち、軍の体勢を立て直し、再び東征を開始した。とはいえ、一万の兵とともにアーグラにいたカームラーンはフマーユーンに協力する気はなく、他方フマーユーンも彼に軍の指揮権を委ねる気はなかったため、カームラーンはラホールへと進出していた。 1540年5月17日、フマーユーンはシェール・シャーの軍勢とアーグラとラクナウの間にあるカナウジで再び激突した。この戦いにはヒンダールとアスカリーも参加し、兵の数のスール朝を上回っていたが、帝国軍が結果的に大敗した。軍の大部分はガンジス川で溺れ死んだが、フマーユーンはアトガ・ハーンのおかげで何とか川を安全にわたることが出来た。 フマーユーンはアーグラへと逃げ、そこからラホールへと逃れた。彼はカームラーンら弟とラホールで談合し、シェール・シャー打倒後に帝国領の分割をする約束さえもしたが、弟たちは軍事支援を拒否したばかりか、カーブルへの避難はもとよりラホール滞在も容認せず、失敗に終わった。彼はラホールからインダス川にそって下り、ムルターンを経由したのち、長く苦しい亡命生活に身を置いた。 その後、同年6月15日、シェール・シャーはアーグラに入城し、帝国はスール朝に乗っ取られてしまった。
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