コース周回の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:48 UTC 版)
札幌競馬場の起源は、明治初期に公道で行われた仮設の直線コースに由来し、北海道庁付近のホップ園を周回する仮設馬場を経て1878年(明治11年)に開設された札幌育種場競馬場までさかのぼる。北海道では開拓にあたりアメリカからエドウィン・ダンを招いており、札幌育種場競馬場の指導にも関わっている。このため左回りが主流のアメリカ競馬の影響を強く受けており、札幌育種場競馬場やのちに移転された中島遊園地競馬場も左回りとなった。1907年(明治40年)に現在地で札幌競馬場が開設された頃にはアメリカから受けた影響も薄れ、横浜(根岸)競馬場などと同様に右回りとなった。当時は決勝線が正面直線の真ん中に設けられていたため、左右どちらの回りでも最後の直線距離はほぼ変わらなかったこともあり、右回りのほか左回りでも競走を行っていた。1932年(昭和7年)8月14日の札幌競馬を澄宮が観覧したことを報じた北海タイムスでは「札幌競馬特有の左手前(左回り)競走に特に興味を示した」旨が書かれており、札幌の左回り競走は当時の「名物」であった。 札幌競馬は太平洋戦争による中断を経て、1946年(昭和21年)7月に進駐軍主催のアメリカ独立記念日を祝う競馬会として再開。進駐軍は、戦争中に畑になっていたコースをわずか1日の突貫工事で整備。整備はアメリカ軍が手掛けたため、本国と同様に札幌競馬場は再び左回りとなった。この際に第4コーナー(現在の第1コーナー)へ合流する引込線が設けられ、直線に近い形(逆「へ」の字)の800mと、引込線からスタートして1周する2400mの競走が行われていた。こうして札幌競馬場では1974年(昭和49年)まで左回りでレースが行われ、1975年(昭和50年)のスタンド増改築工事とともに右回りに変更された。 1968年(昭和43年)までは左回りの砂コースで、1969年(昭和44年)から左回りダートに変更された後、1975年(昭和50年)に右回りダートに変更(前述)。1989年(平成元年)に100%洋芝の芝コースが新設された(次項)。
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