コンラート4世4世の反モンゴル十字軍とは? わかりやすく解説

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コンラート4世4世の反モンゴル十字軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 23:02 UTC 版)

モンゴルの神聖ローマ帝国侵攻」の記事における「コンラート4世4世の反モンゴル十字軍」の解説

大司教ジークフリート世俗諸侯助言を受け、ヘルフォルトでの集会後の4月25日に、モンゴル軍対す十字軍説く指示公布したマインツ大司教区、ケルン大司教区、トリーア大司教区、コンスタンツ大司教区、シボト大司教修道士説教依頼したアウクスブルク大司教区ストラスブール市で説教が行われた。『Annales sancti Pantaleonis』によると、ドミニコ会フランシスコ会によってドイツ全土十字軍説教されたという。 5月19日ジークフリート助け借りて13歳コンラート4世エスリンゲン集会開き、そこで十字軍誓い立てた。この誓い1241年11月11日までを期限とするものであったが、ベーラ4世1241年から42年の冬の初めにモンゴル軍ドイツ方面侵攻する計画があることを彼に警告したコンラート4世エスリンゲンモンゴル軍対抗する戦力結集するために、ドイツ全土ラント平和令宣言した司教たちはドイツ全土でこの目的のために寄付募ったコンラート4世7月1日ニュルンベルクに軍を集結させることを決定した6月教皇グレゴリウス9世ドイツ数人司教十字軍宣教促す手紙出したハイリゲンクロイツ修道院修道院長ウィーンドミニコ会院長それぞれの地方十字軍宣教するよう命じられた。6月19日グレゴリウス9世フリードリヒ公から受け取った手紙参考に、ドイツボヘミア防衛のために、3日前にハンガリーのために出したものと同様に正式な免罪符発行した十字軍誓い立てて帝国軍参加したことが知られている人々中にはブラウンシュヴァイク公オットー1世ケルン大司教コンラート英語版)、チロル伯アルベルト4世英語版)、ウルテン伯ウルリッヒ、ヘルフェンシュタイン伯ルイなどがいる。これらの呼びかけ応えた諸侯居住地広範囲広がっていることから、十字軍派遣呼びかけドイツ全土広く行われていたことがわかる。一方オーストリアフリードリヒ6月13日付の書簡で、「暴風」と呼称するモンゴル軍とすでに交戦中であるため、十字軍には参加しない述べた。 彼はコンラート4世に、ドイツクロスボウ持ってくるよう依頼したまた、シュヴァーベンフランケンバイエルンラインラント騎士オーストリアに、ザクセンマイセンチューリンゲン騎士ボヘミア移動させるよう助言した十字軍予定通りニュルンベルク集結し7月16日にはヴァイデンまで進軍したコンラート4世ボヘミア向かって進軍していたのか、オーストリア向かって進軍していたのかは不明である。この頃にはモンゴル軍ドイツを脅かすことはないことが明らかになったため十字軍は解散し結局十字軍モンゴル軍接触することはなかった。十字軍行動を示す最後情報は、7月20日チロル伯発行した憲章である。 『Annales breves Wormatienses』と『Gesta Treverorum』によると、ヴォルムス司教ランドルフ除いて司教王子たち十字軍のために集めた金を自分たちの間で分け合っていた。コンラート4世ドイツでの摂政であるマインツジークフリート教皇派離反したことが、コンラート4世十字軍終了決定する直接的な原因となった考えられている。十字軍モンゴルとの戦闘には至らなかったが、『Annales sancti Trudperti』や『Annales Zwifaltenses』などは、モンゴル軍ヨーロッパから撤退したのは、ドイツ軍威嚇よるものだとしている。ドイツオーストリア民族主義的近代史家も、このような史観支持している。実際には、モンゴル軍本来の目的キプチャク人保護したハンガリー王討伐することにあったので、ドイツには武力侵攻しなかったのだと考えられる

※この「コンラート4世4世の反モンゴル十字軍」の解説は、「モンゴルの神聖ローマ帝国侵攻」の解説の一部です。
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