コメ支援をめぐって
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「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の記事における「コメ支援をめぐって」の解説
1999年12月17日、家族会は河野洋平外務大臣と面会した。河野外相は「皆さんと同じ気持ち」「力ずくはダメ」「コメ出す出さないはここでは言えない」と発言した。12月21日、日朝赤十字会談が開かれ、日本側が被害者リストを提示したのに対し、朝鮮赤十字会は「しっかりとした調査を行うため当該機関に依頼する」と応答した。同日、日朝国交正常化予備会談が開かれ、日本側は「拉致問題は避けて通れない」「誠意ある対応を」と北朝鮮側に要請した。2000年2月22日、中央大学出身で蓮池薫の救出活動や大学復学問題にもかかわった外務政務次官の山本一太が新潟県柏崎市を訪問して「コメは簡単には出さない」と発言、それに対し、新潟県第2区選出の衆議院議員、桜井新は翌日「ギチギチやってもだめ」「懐を開けさせるためコメを少しずつ出してもいい」と発言した。3月、政府はコメ支援10万トンを決定し、3月3日、読売新聞が「3月7日、自民党外交部会でコメ支援10万トン決定」と報道、同日山本一太外務政務次官が横田滋・早紀江夫妻にコメ支援を説明した。 家族会が恐れたのは、政府が日朝国交樹立を最優先として考えるあまり、前のめりに北朝鮮に食糧援助を行い、その結果として拉致問題が棚上げされてしまうことであった。3月6日、家族会はコメ支援反対を訴え、外務省前で座り込みを行い、河野外相に抗議、さらに記者会見をおこなった。翌3月7日には自由民主党本部でも座り込みを行った。3月13日、日朝赤十字会談で北朝鮮側は「行方不明者について当該機関がしっかりした調査を開始した」「見つかれば通報し適切な措置をとる」と説明した。しかし、4月4日に再会された日朝国交正常化交渉では、日本側が「拉致問題を避けて通ることは不可能」「誠実な対応を」と要請したのに対し、北朝鮮側は「『拉致』という言葉を引き続き使うなら、それ以上対話を続けない」と反発した。 2000年9月12日、増元照明が首相官邸で森喜朗内閣総理大臣に土下座して姉をはじめとする拉致被害者の救出を懇願した。父からは叱られたが、森首相は、拉致問題を棚上げにしての日朝国交樹立はないと言明した。しかし、10月には政府によるコメ支援50万トンが決定した。10月3日、家族会代表は河野外相に面会してコメ支援に抗議したが、自民党本部には入れなかった。10月6日、家族会は外務省・自民党前で座り込みをおこなった。なお、2001年4月に内閣総理大臣となった小泉純一郎は、八尾恵の法廷での証言によって有本恵子の拉致が明らかになったことを受けて2002年3月、「拉致問題を棚上げして正常化交渉はありえない」とあらためて言明した。
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