コメ輸入自由化
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日本国政府は、関税及び貿易に関する一般協定 (GATT) の「ウルグアイ・ラウンド」で世界各国と外交交渉中であった。従前より日本のコメ農家保護のために、国是として「一粒たりとも輸入させない」とコメの全面輸入禁止を方針としていた。しかしながら米不足により、世界からコメの緊急輸入を受け入れせざるを得なかった。 しかし緊急輸入と調達により、コメの国際取引市場を混乱させたと世界的な批判を受けて、日本国政府は従前の方針を撤回し、コメの輸入を解禁せざるをえなかった。1994年のウルグアイ・ラウンド交渉で、例外なき関税化を拒否したため、最終的にミニマム・アクセス流通として、各国からコメの貿易自由化要求を飲まざるを得なくなった。この解禁で2001年(平成13年)には、全体の7.2%が世界からの輸入となるまでになった。 戦後の食料不足の教訓から作られた食糧管理法を廃止の上で、大幅に見直し(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律・食糧法)、従前の農林水産省主導による農業統制から、ある程度耕作の自由が与えられるようになった。 また日本国政府は、不作対策として政府備蓄米の増量を決定している。2003年(平成15年)の冷夏による不作の際は、米価の10%から20%程度の上昇で抑えることができたが、世界から輸入され続けた輸入米が日本で異常に余剰し、食用米としては一般市場には外国産米と銘打って流通されず、加工米や安価販売用のブレンド米、海外災害救援物資として一部利用されるのみであった。この問題が産地偽装米問題としてクローズアップされることもあり、また精米業者によっては日本米とアメリカ・オーストラリア米のブレンド米でありながら「国産ブランド米100%」として販売するという問題も発生した。 日本国政府はコメの関税化を拒否し、1995年(平成7年)からミニマム・アクセス米(MA米)を日本のコメ消費量の4%(42.6万トン)を国家貿易で世界から輸入し、以後1年おきに0.8%ずつ段階的に輸入枠の拡大をし、最終的なMA米の輸入量は、2000年には8%(85.2万トン)まで予定されていたが、MA米実施期間中の1999年(平成11年)4月1日に政策転換して「コメの関税化」に切り替えることになった。そのため日本は、コメの輸入解禁に加え、更に76.7万トンの輸入無税枠の上乗せという、不利な貿易条件を受け入れざるを得なくなった。 ウルグアイ・ラウンド実施期間の最終年であり、世界貿易機関農業貿易交渉の開始年である2000年の水準で、日本のMA米の輸入量7.2%(76.7万トン)の無税枠がそのまま維持され、2019年には環太平洋パートナーシップ協定(CPTPP)の発効により、オーストラリア産の非関税米をMA米とは別に6,000トン受け入れることになった。 コメの輸入関税は、1999年に 351円17銭/kg、2000年以降は 341円/kg となって価格が維持されている。関税化により、国家貿易であるMA米の枠外でも、1999年(平成11年)以降は関税を支払えば、誰でもコメの輸入が可能になった。 なお当初、精米の関税を「778%」と報道されたが、精米1キログラム当たり「341円」のままである。
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