ケネディ大統領暗殺後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 03:51 UTC 版)
「セオドア・C・ソレンセン」の記事における「ケネディ大統領暗殺後」の解説
1963年11月のケネディ暗殺後、セオドアはホワイト・ハウスを去り、1965年、ケネディの伝記Kennedyを著した。この本は世界的なベストセラーとなり、多くの言語に翻訳された。ベトナム戦争の泥沼によりアメリカの国際的信用が失墜し、国内情勢が悪化すると、アメリカ再建の願いをこめてKennedy Legacyを著した。この中でセオドアは、アメリカが再び世界の尊敬を取り戻すには"ケネディの遺産"を継承するしかないと訴えている。Kennedy、Kennedy Legacyはケネディ政権中の政府内の出来事を知る上で貴重な文献となっている。 1968年にジョン・F・ケネディの実弟ロバート・F・ケネディが大統領予備選に立候補すると、セオドアは彼の選挙参謀として精力的に働いた。 1970年、セオドアはニューヨーク州から上院議員選挙に出馬したが敗退した。また、1977年、ジミー・カーターが大統領に就任すると、カーターはソレンセンをCIA長官に指名したが、上院での承認が得られなかった。セオドアはCIAを改革できるという期待もあったが、同時に彼は経験不足でCIAを動かすのに適する能力を備えていないと考えられた。カーターは代わりに海軍大将スタンスフィールド・ターナー(Stansfield Turner)をCIA長官に任命した。彼の政権下では外交上の失敗が相次ぎ、CIAの能力低下が指摘された。その後彼は弁護士として働きながらもリベラル陣営のスポークスマン的役割を果たしていた。外交問題評議会(CFR)、Century Institute、プリンストン大学、ハーバード大学政治学研究所の会員で、Partnership for a Secure America(PSA)の顧問も務めていた。 2008年の大統領選については、バラク・オバマへの支持を表明した。 2010年10月31日、脳卒中の合併症のためニューヨーク市内で死去。82歳没。2001年にも脳卒中に見舞われていて、著しい視力低下を来していた。
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