ケネディ家との関係と暗殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 23:32 UTC 版)
「フランク・シナトラ」の記事における「ケネディ家との関係と暗殺事件」の解説
娘のナンシーによれば、ケネディが1960年の大統領選挙に立候補する際、ケネディの父親で、密造酒商売を通じてマフィアと繋がりが深く、禁酒法時代に密造酒製造・販売で財を成してのし上がった過去で有名なジョセフ・P・ケネディが、シナトラの歌手デビュー当時から密接なつき合いがあるイタリア系マフィアの大ボスで、ショービジネス界を裏で握っているジアンカーナに「選挙運動に協力するように頼んでほしい」、とシナトラに頼んだと証言している。 シナトラはジアンカーナに協力を要請したほか、その後元ガールフレンドでジアンカーナの情婦でもあったジュディス・キャンベルを、大統領になる前のケネディ大統領に紹介し、実際にキャンベルと女好きで有名なケネディは短期間の間、不倫関係になった。実際にその後ジアンカーナはケネディの大統領選挙の支援を行った。 しかしケネディは上記の様に大統領当選後の1962年に、ケネディ家とジアンカーナをはじめとするマフィアとの関係を怪しんだFBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーに忠告を受けたため、マフィアの協力で大統領に当選したこと(さらにキャンベルとケネディが愛人関係であったこと)が表ざたになることを恐れた、ケネディの実弟で司法長官となったロバートが、ジアンカーナをはじめとするマフィアとの繋がりがあるシナトラを露骨に避けた上、この様な事実のもみ消しのために「マフィアを徹底的に取り締まる」と発表し、実際にジアンカーナとシナトラとの関係を一方的に断った。 このような仕打ちに怒ったジアンカーナとシナトラは徐々に反ケネディに傾いて行き、ケネディの死の1年前にその関係は完全に途絶えた。さらにジアンカーナは「ケネディ大統領暗殺事件の黒幕の一人」と言われ、「ケネディ兄弟の暗殺はジアンカーナへの裏切りに対する報復であっただろう」と言われる陰謀論の根拠となっている。実際にジアンカーナがケネディ暗殺をほのめかしているのを、FBIが盗聴で確認している。 なおシナトラは、1963年11月22日のケネディ大統領暗殺事件の直後に、1952年にかつて自分が出演した映画「3人の狙撃者」のフィルムを回収して回ったと言われている。そこでのシナトラの役は大統領狙撃未遂の主犯の上官だった。
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