グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設の意味・解説 

グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 15:44 UTC 版)

戸山競馬」の記事における「グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設」の解説

1879年(明治12年)6月アメリカ合衆国大統領グラント将軍来日したグラント将軍一行7月3日横浜到着したが、飛行機のない時代明治政府にとって国家元首経験した国賓級の人物迎えることは初めてでその歓迎ぶりは尋常なものではなかった。2か月余り滞在政府様々な歓待行事行った。その歓待行事一つとして政府競馬開催計画する宮内省外務省主唱して陸軍戸山学校西側隣接地競馬場新設競馬場7月上旬竣工した競馬場馬場楕円形一周1280メートル陸軍競馬執行することになり、臨時競馬規則定める。出走馬内国産馬日本馬)と雑種分け、また官有馬と個人所有の馬を区別する賞金個人所有馬に手厚くする)。横浜根岸競馬勝利した馬には勝利数に応じてハンディ負担重量増加)を付る。出走馬検査の7ないし10日前に報知する。などの規則細かく設け競走番組10回行う。第一回目の競走内国産官馬のレースレース名は「一の谷」距離は3/4周(960メートル賞金は7円、第二回目も内国産官馬のレースで「三方が原960メートル第三回目は個人所有馬で内国産馬雑種混合レース名は「衣川賞金30円、第四回目のレース名は「桶狭間」、第9回目のレース内国個人所有馬のレース宇治川」で距離は1周1280メートル賞金75円など。レース名はすべて古の合戦場地名である。開催日8月20日とし8月9日には陸軍西郷従道名でグラント将軍招待状を出す。当日には明治天皇がご臨幸されグラント将軍およびその随員たち、日本側は宮家や旧大名政府高官こぞって参加し競馬観覧される。第1レース宮内庁の馬「戸来」が勝ち、第2レース陸軍の馬「吉川」、第3レース陸軍少佐所有の馬「花房」が勝ち、もっとも賞金の高い第9レース宮内省調馬師木村一所有の「雷」が勝つ。明治天皇は1時から5時まで観戦グラント将軍6時すぎまで観戦した明治政府はこの5日後にも上野公園流鏑馬犬追物などの騎射グラント披露しグラント返礼優良なアメリカ牡馬寄贈する。この馬は北海道種馬となり、多数優良産駒生んで日本の馬の改良貢献した

※この「グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設」の解説は、「戸山競馬」の解説の一部です。
「グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設」を含む「戸山競馬」の記事については、「戸山競馬」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設」の関連用語

1
34% |||||

グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



グラント将軍来日と戸山学校競馬場開設のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの戸山競馬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS