グラント時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 06:44 UTC 版)
グラントは南北戦争時の北軍の名将として知られ、1868年5月のシカゴでの共和党全国大会で満場一致で大統領候補に選ばれ、大統領選でも大勝した。しかし、大統領としてのかれは、汚職とスキャンダル(英語版)に常に悩まされた。特に連邦政府の税金から300万ドル以上が不正に収得したとされるウイスキー汚職事件が有名である。個人補佐官オービル・E・バブコックは不正行為に関与したとして起訴され、大統領の恩赦によって有罪判決を回避した。この事件ののち陸軍省長官ウィリアム・E・ベルナップがアメリカインディアンとの販売・取引ポストと交換に賄賂を受けとったことが調査の結果明らかとなった。グラント自身が部下の不正行為から利益を得た証拠はないが、彼は犯罪者に対する厳しい姿勢をとらず、彼らの有罪が確定した後さえ、強く反応しなかった。彼の周辺は汚職にまみれ、今ではしばしば「史上最低の大統領」と評価されるほどである。 腐敗したグラント政権の間に共和党の人気は落ち、共和党は民主党と妥協(南部人の閣僚入り、南部の鉄道に北部資本を導入)するまでにいたった。南部民主党の新しい指導者らは戦前とは違って北部共和党に近い考え方をもち、結局、北部と南部の白人は黒人の犠牲において和解することになった。人種問題に関しては、政府は関知せずという自由放任の方針がとられた。解放後の黒人には土地とラバが与えられるという期待が広まっていたが、無一文で放り出された多数の元奴隷らはプランテーションを去って放浪するか、南部にとどまってプランテーションの農業労働者か小作人になるよりほかに道がなかった。
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