クラフト=フェニックスの買収後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 00:56 UTC 版)
「クラフトフーヅ・インク」の記事における「クラフト=フェニックスの買収後」の解説
1930年当時、ナショナル・デイリーの売上は3億1500万ドル、クラフト=フェニックスは8500万ドルだった。クラフト=フェニックスの買収後もナショナル・デイリーの経営陣が経営を続け、1969年までナショナル・デイリーの社名を維持した。 1933年から、ラジオ番組のスポンサーとしてのマーケティングを始めた。1935年、買収前のブランドが乱立していたアイスクリームのブランドを「シールテスト」(Sealtest)に統一した。第二次世界大戦中、毎週400万ポンド(約1800万トン)のチーズをヨーロッパの戦場へ送った。 戦後も商品開発と広告宣伝により同社は成長し、1950年代にはスライスチーズとチーズソースのチーズ・ウィズ(英語版)(Cheez Whiz)を発売した。同社の製品は、創業当初は全て乳製品だったが、次第に、キャンディー、マカロニ・アンド・チーズ、マーガリンなど乳製品以外にも拡大した。1950年代から、飲料乳のような付加価値の低い乳製品からの撤退を始め、最終的に、取り扱う乳製品は、旧クラフト社の事業に由来するチーズのみとなった。後に同社が「クラフト」に社名を変更したのはこのためであり、J・L・クラフトの事業開始をもって同社の創業としている。 トーマス・マキナニーが1941年に、J・L・クラフトが1953年に亡くなった。1950年代の終わりごろには各事業部門の自主性が低くなり、1956年にはガラス瓶製造業のメトログラスを買収するなど、事業が多角化した。 1947年、登場したばかりのテレビでの宣伝を始め、クラフトテレビ劇場(英語版)(Kraft Television Theatre)という1時間枠のドラマの提供を行った。この番組では、テレビのマーケティング力を試すために、それまでほとんど売れていなかった「マクラーレン・インペリアル・チーズ」の宣伝が行われた。宣伝を企画した広告会社ジェイ・ウォルター・トンプソンの内部文書によれば、このテレビ番組以外での宣伝を一切行わなかったこの商品は、供給が追いつかないほどに売れたという。 1960年代には商品開発を活発に行い、フルーツゼリー、フルーツプレザーブ(英語版)、マシュマロ、バーベキューソース、個包装タイプのスライスチーズ「クラフトシングルス」などの発売を開始した。この時期に、同社の事業は全世界に拡大した。 1961年、カナダのドミニオン・デイリーを買収し、初めてアメリカ以外で飲用乳とアイスクリームの事業を行った。同年には、イギリス・マンチェスターのサザン・オイル・カンパニーを買収した。
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