クボタショックから救済金制度の設立過程
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「クボタショック」の記事における「クボタショックから救済金制度の設立過程」の解説
クボタは2005年6月30日に3名の中皮腫患者に対して見舞金の支払いを決定したことを発表した。8月12日には「お見舞金(弔慰金)」を制度化させることを発表。対象となる判断基準を設け、該当者に一律200万円の支払うとした。8月末には見舞金制度の請求が24人となり、被害者らは補償についての話し合いに応じるよう要請した。11月下旬、クボタの部長級幹部が被害者らに初めて謝罪した。12月25日には「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」の会合に社長と専務が参加し、被害者らに謝罪するとともに被害者からの訴えや追及、質問に答えた。その中で社長は「塀の内と外で差別することはしません」と答えた。また、「お見舞金制度」に代わる新たな対策を検討していくことを表明した。 2006年3月2日、被害者や尼崎労働者安全衛生センターなどの支援団体関係者らとクボタとの補償に向けての交渉が、クボタの阪神事務所で持たれた。クボタからは部長・課長らの5名が参加した。その後、3月31日まで合計4回の交渉が行われた。交渉の結果、4月15日に合意の内容が確認された。2006年4月17日にはクボタが「旧神埼工場周辺の石綿疾患患者並びにご家族の皆様に対する救済金支払い規定」を制定した。同規定の骨子として、「救済金として最高4600万円、最低2500万円の支払い」「石綿による健康被害の救済に関する法律にもとづく認定者に支給」「工場から1キロ以内の範囲に1年以上の居住歴、あるいは通学・通勤歴があること」となっている。 2014年3月末時点でクボタが救済金を支払った住民被害者は265人、それとは別に労災認定された元従業員らの石綿関連疾病疾患は190人に達している。救済金制度の創設に向けた交渉にも携わった「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」会長の古川和子は「救済金の支払いのとき、クボタの社員は深々と頭を下げます。あの姿を信じたい。クボタ・ショック直後、幡掛大輔社長(当時)は尼崎で患者と向き合い、謝罪しました。その原点に立ち戻ってほしい。現社長がもう一度、尼崎の患者や遺族と会うべきだと思います。そうでないと、救済金の支払いが単なる手続きで終わってしまう」と現在までの歴史を振り返っている。 2019年6月時点では、救済金を支給した住民被害者は355人に上る。支援団体である尼崎労働者安全衛生センターは「石綿を吸い込んでから中皮腫を発症するまでには数十年かかることから、今後も被害者は増え続ける」と指摘している。
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