オペラ、カンタータ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 20:51 UTC 版)
「カール・ニールセン」の記事における「オペラ、カンタータ」の解説
ニールセンの2つのオペラは様式の点で大きく異なっている。1902年に書かれた4幕構成の『サウルとダヴィデ』はアイナ・クレスチャンスン(英語版)のリブレットに基づき、サウルの若いダビデへの嫉妬という聖書の説話を物語る。一方、『仮面舞踏会』はルズヴィ・ホルベアの喜劇を下敷きにヴィルヘルム・アナスン(英語版)が著したデンマーク語のリブレットを基に、1906年に作曲された3幕形式のコミック・オペラである。『サウルとダヴィデ』は1902年11月の初演で否定的な評価を受け、1904年の再演時にも良くなることはなかった。対照的に1906年11月の『仮面舞踏会』は目覚ましい成功となり、最初の4か月の間に25回の追加公演が行われた。デンマークの国民的オペラと看做されるようになった本作の成功と人気は母国で長く続いており、その成功の源は多くの有節歌曲形式の歌、踊り、そして通底する「古きコペンハーゲン」の空気にある。 ニールセンは数多くの合唱作品を作曲しているが、それらの大半は特定の行事のために書かれたものであり滅多に再演されることはない。しかし、3曲のしっかり作られた独唱者、合唱と管弦楽のためのカンタータはレパートリーに定着している。初期の多声的合唱様式を学んだ後には『愛の賛歌』 作品12(1897年)を作曲した。ナナ・リプマン(Nanna Liebmann)は『Dannebrog』紙上でこの作品がニールセンの「決定的な勝利」であると評し、『Nationaltidende』紙のアングル・ハメレク(Angul Hammerich)は進歩した清澄さと純粋さを歓迎した。しかし『Berlingske Tidende』紙の批評家H.W.シュデ(Schytte)はニールセンが見栄を張ってデンマーク語ではなくラテン語の歌詞を用いたのではないかと考えた。『眠り』 作品18はニールセンの2番目に知られた合唱作品であり、睡眠の様々な段階に音楽を付した作品である。悪夢も中央の曲として含まれており、通常聞かれないような不協和音を含むこの部分は1905年3月の初演時には評論家に衝撃を与えた。1922年に完成された『フューンの春』 作品42はフューン島の田舎の美しさを称揚していることから、ニールセンの全作品の中で最もデンマークらしいと言及されている。
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