オイルショック以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 00:07 UTC 版)
「名鉄3800系電車」の記事における「オイルショック以降」の解説
本系列を含むAL車各形式を種車とする7300系への車体更新はその後も継続する計画であったが、1970年代の高度経済成長期における輸送量増加は年々激しさを増し、同数代替となる車体更新車の増備よりも車両数が純増となる新製車の増備が求められたことから、7300系の導入は1971年度のみで打ち切られた。さらに1973年(昭和48年)の第一次オイルショックによって従来自家用車を利用した通勤客の公共交通機関への移転が進み、朝夕ラッシュ時における混雑率の悪化は限界に達した。名鉄は輸送事情改善のため戦後の大手私鉄事業者としては異例となる他社からの譲渡車両導入に踏み切るという非常手段を取らざるを得ない状況となり、従来車の代替を実施する余裕はなくなったため、本系列の淘汰も一時中断された。 1973年より車内照明が白熱電灯仕様のまま存置されていた編成を対象として蛍光灯化改造が施工されたほか、前面ワイパーの自動動作化・装着するD18台車の軸受のコロ軸受(ローラーベアリング)化が1975年(昭和50年)までに残存する全車を対象に施工された。同時期には前照灯のシールドビーム2灯化も順次施工された。 また1974年(昭和49年)にはセミクロスシート仕様の編成を対象に、ラッシュ時対策として客用扉寄りの座席を左右2脚・1両あたり4脚撤去し客用扉周辺の立席スペースを拡大する改造が施工されたほか、同時期に名鉄の保有する鉄道車両の標準塗装をスカーレット1色塗装とする方針が定められたため、従来車内座席の相違によって異なった車体塗装を全編成ともスカーレット1色塗りで統一した。 その他、前述した他社からの譲渡車両の一系列である3790系(元東濃鉄道モハ110形・クハ210形)は築港線専用車両として導入された。そのため、従来同路線の専用編成であったク2815(2代)-モ3818-ク2816のうち、モ3818-ク2816を(新)3818編成として幹線系統へ再転属させ、残るク2815(2代)については3790系の中間車(付随車代用)に転用されてモ3791-ク2815(2代)-ク2791の3両編成を新たに組成した。 なお、1979年(昭和54年)にク2836は7300系の台車換装によって余剰となったD18台車を転用して換装し、従来装着したTR14台車は廃棄された。
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