エキュメニズムへの取り組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 20:53 UTC 版)
「キリスト教の歴史」の記事における「エキュメニズムへの取り組み」の解説
プロテスタントは、1910年にエディンバラで世界キリスト教会議を開催し、カトリック教会と正教会の代表に加えて、非キリスト教の諸宗教の代表も招き、教会の対話と一致を協議した。その結果、1948年には世界教会協議会(WCC)が誕生し、エキュメニカル運動(教会一致運動)が推進された。プロテスタント諸教会は洗礼・聖餐・職制(叙階)において一致するために「リマ文書」を作成し、それを用いて諸教会の合同礼拝を行っている。また、各国でプロテスタント諸教派による合同教会(United Church)が誕生している(ただし、その要因は主流派諸教会の信徒数減少による)。 カトリック教会では1962年から1965年まで開催された第2バチカン公会議において、エキュメニズムへの取り組みを本格化させた。プロテスタント諸派とは相互聖餐の関係樹立を目指して、教派別に神学的作業が進められている。1990年代には、カトリック教会とルーテル教会の間において、16世紀の宗教改革の最大の争点となった「信仰義認」の教義について、現在の両教会の見解の間には本質的相違が存在しないことが確認されているが、全教会規模での相互聖餐には至っていない。また、聖公会とカトリック教会の間にも、相互倍餐の関係を模索する動きがあるが、秘跡論の違いに加え、カトリック教会が同性愛者を否定しているのに対し、聖公会が同性愛者および女性を司祭や主教(司教)に叙階していることが、両教会の完全な合同に対する越えがたい障害となっている。 また、近世以降カトリック教会は、ローマ教皇の首位権を認めることを条件に、東方典礼という形で東方教会の一部を取り込んできた(東方典礼カトリック教会)。しかし20世紀において、将来の一致を目標としつつ、現状[いつ?]においては東方教会のそれぞれの教派を独自性をもつ教会として扱うに至った。現在[いつ?]のカトリック教会は、すべての東方教会の信徒に、止むを得ない場合という留保つきではあるが、聖体拝領を認めている。ただし、こうしたカトリック教会のいうエキュメニズムは単に他教派のローマ帰一を最終的な目標とするもの(カトリック・エキュメニズム)であり、相互の教理理解に必ずしも基づかないとの警戒も他教派には存在する。 東方諸教会と、かつての正統教会の後裔であるカトリック教会と正教会、またプロテスタント教会との間の対話も活発化している。正教会と非カルケドン派教会は第2次大戦後、おもに中東地区で対話をすすめ、20世紀末には正教会とシリア正教会が教義についての合意を正式に文書で確認し合うに至った。その文書では、キリスト論などの教義の違いは神学的相違というよりはむしろその表現の相違であり、根底において教義を共有し合っていることを認めた。ただし教会としての全面的な一致には至っていないため、教会の方針としては完全な相互領聖には至っていない。 非カルケドン派教会のひとつ、エジプトのコプト正教会は世界教会評議会での熱心な活動で知られ、特にアフリカ地区での他教会との交流に力を入れている。これは他の教会での礼拝への陪席などを含んでいる。
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