アシナゴラス (コンスタンディヌーポリ総主教)とは? わかりやすく解説

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アシナゴラス (コンスタンディヌーポリ総主教)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 01:15 UTC 版)

アシナゴラス1世
コンスタンディヌーポリ総主教
アシナゴラス総主教(1967年)
着座 1948年11月1日
離任 1972年1月7日
前任 マクシモス5世英語版
後任 ディミトリオス1世英語版
他の役職 ギリシャ正教会在米国大主教区大主教[1]
個人情報
本名 アリストクリス・スピルー
出生 1886年4月6日ユリウス暦 3月25日)
オスマン帝国
イピロス
ヴァシリコ村(Vasiliko ギリシャ
ヨアニナ県
死去 1972年7月7日(1972-07-07)(86歳没)
トルコ
イスタンブール
教派・教会名 正教会
出身校 ハルキ神学校 (英語版)
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アシナゴラス総主教像(クレタ島ハニア

アシナゴラス1世(ギリシア語: Αθηναγόρας Αʹ, 1886年3月25日[注釈 1] - 1972年1月7日)はギリシャ正教会在米国大主教区大主教[1]コンスタンディヌーポリ総主教(在位:1948年 - 1972年)。「アシナゴラス」は現代ギリシア語転写であり、「アテナゴラス」(もしくはアテーナゴラス)は、古典ギリシア語の再建音転写。

経歴

1886年オスマントルコ帝国イピロス地方(現ヨアニナ市)に近いヴァシリコ(Vasiliko)村に、俗名アリストクリス・マテウ・スピルーΑριστοκλής Ματθαίου Σπύρου)として生まれた。1906年にコンスタンディヌーポリ総主教庁の下にありイスタンブールに近いハルキ島英語版の神学校英語版へ進む[注釈 2]1910年輔祭に叙聖され[2]ペラゴニア主教区の大執事を経て1918年にはアテネメレティオス大主教を輔佐する首輔祭に任じられた。

1922年から1931年まで執事のままコルフ主教を務める。その間に訪米し、ギリシャ正教の文書館で神学研究の資料調査に当たると、1930年、在米のダマスキノス府主教よりフォティオス2世英語版に南北米州の主教区を融和させる適任者として推奨を受けたことがきっかけで、1931年2月24日に在米国ギリシャ正教会第2代大主教に選出されて赴任。ところが置かれたばかりの同教区は大主教派とヴェニゼロス英語版の対立で分裂し、まとまることができずにいた。そこでアシナゴラスは主教区の教会管理を中央集権化し、自分を除く主教を全員、助教として任命し直すとともに主教から司法権を除去、大主教を支援する役割に縮小した。また正教会コミュニティと積極的に協力して調和を目指すと、聖職者と信徒のコングレスの担当分野を広げるとともに聖十字神学校英語版を設立。初めこそ反発が強かったが、有能な大主教として指導力を発揮するうち、愛と献身を得るに至った。

アテナゴラスは1933年10月22日にニューヨークアッパーイーストサイドにある至聖三者大聖堂英語版礼拝堂聖成式を執り行い、「アメリカのヘレニズムを代表する大聖堂」と呼んだ[3]1938年に帰化、アメリカ市民となる[2][4]

1948年11月1日、61歳でコンスタンディヌーポリ総主教座に着座[4]、翌1949年1月、トルコのイスタンブールまで自家用飛行機で送らせたいというアメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンの申し出を受けている[5]。総主教として世界教会協議会を介して前向きにエキュメニズムに関与することになる。

エキュメニカルな関係構築

総主教はカトリック教会聖公会との対話に努め、エキュメニズムに取り組んだ。パウロ6世とは1964年にエルサレムで会談し[6]、その後1054年の相互破門は正教会・カトリック教会の双方から取り消された。1965年のカトリックと正教会の共同宣言英語版を作成し、1965年12月7日、ローマでは第2バチカン公会議の公開の議事のひとつとして、またコンスタンディヌーポリでは特別式典の席上という2つの場を得て読み上げられたのである[7]。物議をかもした宣言は教会の東西分裂を終わらせることはなかったものの、むしろパウロ6世とアシナゴラスのそれぞれの代表する2つの教会がより大きな和解を望むことを示唆した。

こうしたエキュメニズムへの取り組みは正教会内の保守派から厳しい批判を受けた。その急先鋒のひとりで公然と批判したのが在外ロシア正教会の府主教フィラレート・ヴォズネセンスキー英語版であり、1965年に総主教へ宛てた手紙のなかで、総主教がローマ・カトリック教会との和解を務めることは異端につながる恐れがあると非難した[8]

ただし、元々「1054年の相互破門」において双方の教会が破門対象とした者達は個人的な限定された範囲にとどまっていたこともあり、「1054年の相互破門の解消」も象徴的な意味合いをもつにとどまっている。

総主教は1972年7月6日、腰椎骨折で入院した翌日、イスタンブール(コンスタンティノープル)で腎不全のため永眠した。満87歳[注釈 3]ブラケルナエの聖母マリア教会英語版(イスタンブールのファーティフ街区英語版)の敷地内墓所に眠る。

参考文献

関連文献


脚注

注釈

  1. ^ 誕生は旧暦1886年3月25日。
  2. ^ ギリシャ系の父マテウ・N・スピルー医師と母ヘレン・V・モコロスの間に生まれ、洗礼時の俗名はアリストクリス・マテウ・スピルーである。母と郷里の「敬虔な司祭」(大主教の言葉)の強い薦めにより、幼少時に信仰の道に身を投ずることを決める。1906年にイスタンブールに近いハルキ島のギリシャ系学校で中等教育を修めると、ハルキ神学校(the Holy Trinity Theological School)に進む。叙聖論文はコンスタンディヌーポリ草創期から1453年に至る、エキュメニカルな総主教選挙を論じた……[2]
  3. ^ ニューズウィーク誌の訃報より。

    訃報:コンスタンディヌーポリ総主教アシナゴラス1世、7月6日。ギリシャ正教教徒1億2500万人の指導者は骨折で入院後、イスタンブールにて腎不全で死去。ギリシャ生まれ、白い髭をたくわえ身長およそ190センチ。司教は1948年に北アメリカのギリシャ正教会大司教に選ばれ、17年にわたりニューヨークに赴任後、エキュメニカルな総主教に着座[9]

出典

  1. ^ a b Goff 2010, p. 537.
  2. ^ a b c Block, Rothe, Candee 1950, pp. 14–15.
  3. ^ Cathedral History”. Archdiocesan Cathedral of the Holy Trinity (2014年). 2012年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月26日閲覧。
  4. ^ a b Cianfarra 1950, p. 87.
  5. ^ Chrissochoidis 2013, p. 131.
  6. ^ 『20世紀全記録 クロニック』p.928。なお、パウロ6世と会談したのは1月5日。カトリックと正教会の会談は1439年以来525年ぶりである。
  7. ^ Joint Catholic-Orthodox Declaration of his Holiness Pope Paul VI and the Ecumenical Patriarch Athenagoras I”. La Santa Sede (Vatican) (1965年12月7日). 2014年7月26日閲覧。
  8. ^ Metropolitan Philaret (1965年12月). “A Protest to Patriarch Athenagoras: On the Lifting of the Anathemas of 1054”. Orthodox Christian Information Center. 2014年7月26日閲覧。
  9. ^ Newsweek 1972, p. 172.

関連項目

外部リンク


宗教の称号
先代
アレグザンダー 英語版)
ギリシャ正教会
在米国大主教区

1931年 - 1948年
次代
マイケル 英語版)
先代
マクシモス5世英語版
コンスタンディヌーポリ全地総主教
1948年 - 1972年
次代
ディミトリオス1世英語版



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