領聖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/22 23:00 UTC 版)
領聖(りょうせい)とは正教会(ギリシャ正教)において、ハリストス(キリストを中世以降のギリシャ語で読んだ転写)の尊体(そんたい)・尊血(そんけつ)[注 1]に聖変化したパンと葡萄酒を領食(りょうしょく)すること。日本ハリストス正教会の用語。カトリック教会の聖体拝領、聖公会・プロテスタントの陪餐に相当する[1]。
正教会では、相互間で承認を受けた正教会の信徒以外に領聖することを認めていない。
多くは聖体礼儀において行われるが、病床にある病人が司祭から尊体・尊血を受けるなどの場合もある。
概要
多くのスラヴ系の正教会では、聖体礼儀で領聖する場合、領聖前に痛悔機密(告解)を受ける事を信徒に義務付けている。一方、ギリシャ系の正教会ではこうした習慣は無く、痛悔機密を毎回受けることなしに領聖が行われている。
聖体礼儀においては、聖爵(せいしゃく)[注 2]の中に尊血となった葡萄酒が入れられ、これに尊体となったパンが入れられる。信者はこの聖爵より、司祭が
但し、病人が固形物を嚥下出来ない場合などには尊血(葡萄酒)だけの領聖が行われる事もある。また、病床にある病人の下に御聖体を運ぶ際には、予め聖変化されて教会に保存されている聖体を用いる。これは、聖変化したパンに聖変化した葡萄酒を染み込ませたものである。
正教会では尊体となるパンには、発酵パン(プロスフォラ)が用いられる。無発酵パン(ホスチアまたはウェハー)を用いる西方教会とは異なる特色である。
領聖とは別に、聖体礼儀の最後に行なわれる十字架接吻の後には「アンティドル」と呼ばれる祝福された聖餅(パンの断片)が振舞われる。これは、洗礼を受けていない啓蒙者や正教会以外の他宗派の信者であっても、お祈りに参加した者すべてが祝福して招待され頂くことができる。
相互領聖関係
「甲」正教会と「乙」正教会が完全相互領聖関係にあると言う場合、お互いの信徒がお互いの教会で領聖する事を認めている状態を指す。これは「甲」正教会と「乙」正教会がお互いに正教会における教会法上の合法性と教会の伝統を一定程度認知し、一定程度の関係と交流を維持している事を表す。
原則として他教会信者が正教会で領聖することは許されない。正教会全体の方針としては教義の違いをそのままにして相互領聖することを好まず、教義の一致に基づくフル・コミュニオンのみを認める。このため各正教会の信者のみが他の正教会で領聖することができる。
このため相互領聖関係は端的に、当該教会が他正教会から正教会と認められている事を示す。
東方諸教会との対話の進展を反映して、1990年代以降、中東地域、および欧米の一部などにおいては、東方諸教会信者の領聖を許すことがある。一方、聖霊論を異にする(フィリオクェ問題参照)西方教会の信者が、正教会で領聖することはほぼ不可能である。
領聖預備規程・領聖感謝祝文
必ずしも全てを唱える事が領聖にあたって必須とされている訳ではないが、よく領聖に備えるための祈祷文が正教会に伝えられている。その祈祷文の全てに作者名が付されている訳ではないが、幾つかの祈祷文には以下の聖人が作者として伝えられている[2]。
脚注
注釈
出典
- ^ 『キリスト教大事典』(改訂新版第2版) 教文館、1973年〈昭和48年〉、810頁、ISBN 4764240025、 NCID BN14643423。
- ^ 『領聖預備規程』 日本ハリストス正教会教団、1982年〈昭和57年〉5月1日。
関連項目
- コミュニオン
- 聖餐論
- 聖体礼儀
- 聖体
- クロンシュタットのイオアン - 領聖に関する説教が知られている正教会の聖人(19世紀後半から20世紀初頭)
- 教派別のキリスト教用語一覧
外部リンク
- “参祷の心得”. 日本ハリストス正教会. 2018年7月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年11月19日閲覧。
- 聖体礼儀と教会の一致 - カリストス・ウェア主教「領聖と相互領聖」の一部抄訳
- 領聖感謝祝文
領聖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/28 14:33 UTC 版)
修業女はゾシマに対し、来年は大斎になっても修道院から出ずにとどまり、機密制定の晩餐の聖体礼儀で聖変化した聖体尊血(パンと葡萄酒)を領聖のためにヨルダン川の修道院側の岸まで持って来てくれるように頼んだ。機密制定の晩餐の聖体礼儀は大斎の受難週間に行われるものであり、修道院にとどまっていなければ参加出来ないものだったのである。修業女はまた、ゾシマが来年は修道院からその時期に出たくても出られないであろう事も預言した。 翌年の大斎に、果たして修業女の預言通り、ゾシマは病を得、荒野に出ずに修道院にとどまらざるを得なかった。数日経って回復したが、ゾシマは受難週まで修道院に残った。 機密制定の晩餐の記憶の時間が近付くと、ゾシマは聖体尊血を器に入れ、夕刻遅くに修道院を出てヨルダン川の岸辺で待った。修業女はなかなか来なかったが、ゾシマは待ち続けた。やがて修業女が河の向こう側に現れると、ゾシマは喜んで神を讃美したが、舟も無いのにどのようにして修業女が川を渡って来られるだろうかと考えた。すると修業女は十字を画いて祈ると、川面を素早く歩いて渡り始めた。ゾシマが彼女に伏拝(土下座する拝礼の仕方)しようとすると、彼女は川の真ん中から「師父(しふ)よ、何をしようとするのですか。貴方は聖体を持つ司祭ではないですか」と叫んで止めた。 川を渡り終えると修業女はゾシマに「神父よ、福をくだせ」と言い、祝福を求めた。ゾシマは示された奇蹟に戦き(おののき)ながら、震える声で祈祷と祝福を行った。その後、修業女は領聖し涙を流した。修業女は、最初に会った涸れた小川の所に来年に来るようにゾシマに頼んだ。 帰途、修業女の名をこれまで尋ねてこなかった事をゾシマは後悔したが、来年になれば名を知る事も出来るだろうとの望みを抱いた。
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