領聖について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/01 04:35 UTC 版)
「クロンシュタットのイオアン」の記事における「領聖について」の解説
当時のロシア正教会では、領聖があまり頻繁に行われなかった。足繁く教会に足を運ぶ熱心な信徒でも、年間の領聖回数は数回に満たないのはごく当たり前であった。それどころか生涯の領聖回数が数回に満たない事例も全く珍しいものではなかった。その理由としては、当時の人々が領聖に際して、斎(ものいみ)を入念に行った上で、長時間の痛悔機密を経た上で領聖するという、聖体尊血に対して極めて慎重な姿勢を保持していた事などが挙げられる。 これに対し、聖伝に基づき、領聖をもっと頻繁に行うべきであるとする意見はロシア正教会内でも強まっていた。クロンシュタットの聖イオアンはその代表的な人物の一人であり、教区信徒に対して頻繁な領聖を勧め、個人での痛悔機密ではなく集団での痛悔機密を実行し、多くの教区信徒の領聖に際して精神的便宜を図った。 現在でもロシア正教会とその影響を受けた地域の正教会では、領聖を慎重に行うべきであるとする見解と、領聖を頻繁に行う事を勧める見解とが様々な温度差のもとに並立しているが、クロンシュタットの聖イオアンによる著述は特に後者の論拠とされることが多い。前者について言えば、「生涯の領聖回数を数度に限定する」までに極度に領聖に対して慎重な姿勢をとる見解は、こんにちでは珍しいものとなっている。
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