ウ号作戦とは? わかりやすく解説

ウ号作戦

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ウ号作戦


ウ号作戦

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インパール作戦」の記事における「ウ号作戦」の解説

1943年昭和18年5月、なおも攻勢防御案を強く主張する牟田第15軍司令官は、南方軍司令部での軍司令官会合でもインパール攻略アッサム侵攻力説した河辺ビルマ方面軍司令官もこれに同調してインパール攻略アラカン山系への防衛前進主張したが、牟田口と異なってアッサム侵攻無謀見ていた。会合結果南方軍全体としてアラカン山系への防衛前進を図る攻勢防御が妥当という点で一致したが、稲田正純南方軍総参謀副長などはあくまで限定的かつ慎重な作戦を採るべきという方針だった。 この会合での決定基づいて6月ビルマ方面軍司令部行われた兵棋演習では、ミンタミ山系への限定前進でも結局はイギリス軍との全面会戦になると予想され、より積極的なインパール攻略のほうが有利との判定下った同席南方軍大本営参謀らからも攻勢防御案に異論は出なかったが、第15軍主張する主力アラカン山系山岳地帯一気越えてインパール電撃攻略しさらにはアッサム地方進撃するという計画兵站の点から問題視され演習列席した竹田宮恒徳王大本営参謀は、「一五軍ノ考ハ徹底的ト云ウヨリハ寧ロ無茶苦茶積極案」と評し、また中永太郎ビルマ方面軍参謀長稲田総参謀副長らは、補給困難を理由インパール北方コヒマへの投入兵力限定して柔軟にインパール攻略中止防衛構築移行という修正案提示した。しかし河辺司令官は、アッサム侵攻という考えには反対するが、「わたしは牟田口中将の心事をよく呑み込んでいる。最後の断は必要に応じわたし自身下すからそれまで方面軍統帥乱さない限り牟田口中将の積極意欲を十分尊重するように」と述べただけで、うやむやとなった。 しかし、こうした懸念にもかかわらず8月大本営陸軍部インパール攻略作戦準備命令下達した。この時も南方軍限定攻勢とする修正指示したが、ビルマ方面軍はこの修正強く求めず第15軍では修正指示事実上無視された。また、アッサム侵攻はこの作戦案には明示されなかったものの、牟田口はなおも密かに企図していたとされ、この作戦成否を一層危ういものにしていた。第15軍参謀木下大佐は、この際作戦準備要綱方面軍作戦意図明確に示していれば、牟田であっても再考せざるを得なかったはずであると回想した。しかし牟田司令官当初アッサム侵攻構想を含む作戦準備積極的に進め8月末には隷下の各兵団長を司令部呼び作戦準備命じた。このとき牟田司令官は、「もともと本作戦は普通一般考え方では、初めから成立しない作戦である。糧は敵によることが本旨である。」「敵と遭遇すれば銃口を空に向けて3発撃てそうすれば敵はすぐに投降する約束ができているのだ。」と発言し列席兵団長は司令官本心疑ったという。 本作戦案は、1944年昭和19年1月大本営により、その実施が南方総軍司令官発令大陸指令第1776号)されたが、その背景には、日に日に敗色濃くなっていく戦局一気打開したいという陸軍上層部思惑強く働いていた。この上層部の思惑前にインパール作戦危険性指摘する声は次第にかき消されていった第15軍内部作戦反対していた小畑参謀長1943年昭和18年5月更迭されたのに続いてビルマ方面軍の上司令部である南方総軍インパール作戦実施強硬に反対していた稲田総参謀副長が、同年10月15日に突然更迭された。こうして作戦反対する者が排除される様を目の当たりにする中で、反対者次第口を閉ざしていくことになったまた、インパール作戦開始前に、支作戦本作戦の牽制)として第二次アキャブ作戦(ハ号作戦)が、1944年2月花谷正中将師団長とする第55師団により行なわれた。この支作戦失敗し同月26日には師団長作戦中止命令していたにもかかわらず本作戦であるインパール作戦何ら修正加えられることはなかった。

※この「ウ号作戦」の解説は、「インパール作戦」の解説の一部です。
「ウ号作戦」を含む「インパール作戦」の記事については、「インパール作戦」の概要を参照ください。

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