イラク王国の首都に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 04:58 UTC 版)
1798年、イギリスの商館がバグダードに建設され、1802年にはその駐在官が領事としての地位を有するようになった。イギリス領事はオスマン帝国の太守に次ぐ権限をあたえられた。19世紀後半になるとオスマン帝国の凋落が著しくなったのに対し、ヨーロッパ大陸においては従来小国分立の状態にあったドイツとイタリアに統一国家(ドイツ帝国、イタリア王国)が成立し、とくに新興ドイツは中近東への進出をめざした。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は大海軍の建造に着手する一方、1899年にオスマン帝国からバグダード鉄道の敷設権を獲得して、ベルリン、イスタンブール(ビザンティウム)、バグダードの3都市を結び、沿線に資本を投下することにより西アジア地域への勢力拡大をはかった(3B政策)。しかし、この政策はイギリスの3C政策のみならずロシアの南下政策との対立を招いた。 1914年に起こった第一次世界大戦は、中近東の政治地図を塗り替えた。イギリスは大戦中の1915年、「アラブ反乱」をあおってアラブの名門ハーシム家のフサイン・イブン・アリーにマクマホン書簡を手渡した(フサイン=マクマホン協定)。1917年、バグダードをふくむイラク地方がイギリス軍に占領され、その後のドイツ・オスマン帝国の敗北によって3B政策は頓挫した。 戦後の1921年には現在のイラクの領域にイギリス委任統治領メソポタミアが成立してイラク建国の準備がなされ、バグダードはその首都となった。1932年には委任統治が終了し、ハーシム家のファイサル1世(フサインの三男)を君主とするイラク王国が成立した。王宮はティグリス左岸に建てられた。なお、オスマン帝国の一部であった1900年の段階では14万人だったバグダードの人口は、1950年には50万人に達している。
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